教育哲学とは何か?わかりやすく解説

ティーチング
きらら
きらら

ねぇねぇ、ゆるいちゃん
ゆるいちゃんのやってる教育哲学って、なんだか難しそうだし、そもそも現実の教育に役に立つものなの?

ゆるい
ゆるい

確かに、「教育哲学」って言われても難しそうだし、教育現場には関係なさそうに聞こえるよね…。

けど、実は決して関係ないことなんてないし、むしろ教育現場の人間にとって、実践的に役立つことだと自分は思っているよ!

この記事では、教育哲学とは何か?その必要性について考えるというテーマを考えてみよう。

【6/29まで】プライム会員限定で、Amazonの「聴く読書」Audible(オーディブル)が3ヶ月無料キャンペーンを実施中。

無料体験で手に入れた3冊は、体験終了後もそのまま利用可能。少しでも興味があれば、以下のリンクから登録してオーディオブックを手に入れましょう。(通常4500円→0円)

»Audlbileを3ヶ月間無料で試してみる

»プライム会員登録がまだの人はこちらから30日間無料体験

【6/22まで】Amazonの音楽聞き放題サービスAmazon Music Unlimitedが期間限定で3ヶ月無料キャンペーンを実施中。プライム会員ならなんと4ヶ月無料!
7000万曲以上が聴き放題。ポッドキャストも充実。今すぐ下記公式サイトから無料体験を申し込みましょう。(通常2940円/3120円→0円)

»Amazon Music Unlimitedを3ヶ月間無料で試す(プライム会員は4ヶ月無料)

スポンサーリンク

教育哲学とは何か?

教育哲学とは、教育に関わりのある概念や問題を分析し、明確にすることです。


私たちは教育する上で、いろいろな概念を使っています。


例えば「人格の完成」「自己実現」「個性の発揮」「自立」「共同」などなど、まぁとにかくたくさんの概念・言葉があるわけです。


しかし、それらの概念の中には曖昧なものも少なくありません。


そして、そうした曖昧なまま概念・言葉を使うことで、教育問題が引き起こされてしまうことも多々あるのです。




そこで哲学の出番です。


哲学の役割は「概念を分析し、明確化する」ということ。


つまり、「教育の概念や問題を、哲学という手段を使って分析・明確化する」というのが教育哲学の仕事になるわけです。




ちなみに、20世紀アメリカを代表する哲学者ジョン・デューイは、論理学、形而上学、科学哲学、存在論 etc…、哲学のほとんどすべての分野について研究し、論文を書いています。


しかしデューイは、哲学の中でも最も重要な分野は教育哲学であると主張したそうです。


その理由は、他のすべての分野はなんらかの意味で教育哲学に依存しているからである、と述べています。



たしかにこれはその通りだと感じるところがあります。


私自身、教育哲学を学んでいると、いわゆる「教育」をやっているという感覚はもはやなくなってきています。


それよりも「人間とは?」「個人とは?」「他者とは?」「共同とは?」「社会とは?」みたいな、かなり根本的な問いをもちつつあると感じます。(しかし、それは確かに教育につながる)

きらら
きらら

OK、あつゆる!具体例を言って!



例えばここ数年ブームが続いており、教育に取り入れられがちなアドラー心理学。


このアドラー心理学の重要概念に「共同体感覚」というものがあります。


アドラーはこの「共同体感覚」という概念を「教育の目的」であると主張しているのです。




つまり、

「教育の目的」にまでなっている『共同体感覚』は、教育に大きく関わりのある概念である


と言ってよいでしょう。




けれども、ここで一つ問題が発生します。


それは、この「共同体感覚」がなかなか曖昧な概念であるということです。


アドラー心理学を自分の教育に取り入れている先生、親、上司…たくさんいると思います。


そんな人たちの中でも、この「共同体感覚」をきちんと理解している人は、非常に少ないだろうと予想します。


そして「共同体感覚」を曖昧なまま放置することで、「教育問題」が引き起こされる可能性は十分にあります。



つまりこのとき、

教育に関わりがあって重要なんだけど、みんながいい加減に使っている「共同体感覚」という概念を、分析して明確にした方がよいな…


となるわけです。




では、どうやって「共同体感覚」を分析し、明確にしようか?


ここで「哲学」の登場です。


「哲学」の役割は、概念の分析と明確化でしたね。


つまり、

「共同体感覚」という教育に関わりのある概念を、「哲学」を使って分析、明確化しよう!


ということになります。


これが「教育哲学」でやることです。


↓ちなみに「共同体感覚」を分析・明確化した記事がこちら。

ゆるい
ゆるい

「教育哲学とは、教育に関わりのある概念や問題を分析し、明確にすること」であるとわかりました。

ただ、このように言ったところで
「大学の教授とかががんばればいい話で、現場の教員には関係のない話でしょ〜」
と思われる人もいるかと思います。

しかし、私は声に出して言いたいのですが…

教育哲学は、現場の教員にも役に立つ話です。

教育哲学を学ぶことで、教えることだって上手くなるし、子ども・保護者と関係を上手に築くことができるようになるでしょう。

次では「教育哲学の必要性とは?どのように役立つのか?」ということについて書きたいと思います。

教育哲学の必要性とは?教育現場にどのように役立つのか?

教育哲学の必要性とは?教育現場にどのように役立つのか?


ここでは、教育を考える上でわかりやすい「教育の定義」を使いながら、解説してみたいと思います。


「教育」をいろんな辞書で引くと、以下のような定義が総じてされていることがわかります。

教育とは、望ましくない今の姿から、望ましい姿へ、他人に意図的に働きかけて変化させること


教育の定義には「望ましくない今の姿」「望ましい(未来の)姿」「意図的に働きかけて変化」という3つのポイントがあり、それぞれに曖昧さや難しさがあります。


それらを曖昧にしたまま突き進んで行くから、数多くの「教育問題」が引き起こされているのです。



ここでは、教育の定義の中の「望ましい姿」にフォーカスして、考えてみます。


この「望ましい姿」というのは、いわゆる「教育の目標・目的ってなんだろう?」という問題で、これは古代ギリシア、ソクラテスやプラトンの生きた時代から永遠問われ続けているテーマです。


不思議だと思いませんか?


定義によると「教育の目的」がなければ教育なんてできそうにないのに、2000年以上問われ続けてもいまだに答えが出ていないんですから。






そして、これは何も哲学者だけの問題ではなく、現場の教員にも関係のある問題です。


例えば、教育基本法には以下のように「教育の目的」が定められていますが…

第1条 (教育の目的) 
(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。


これを読んで、あなたは以下の質問に答えることはできるでしょうか?

  • 「人格の完成」の「人格」って何?
  • 「平和的な国家及び社会」ってどんな国家?どんな社会?
  • 「真理と正義を愛し」の「真理」とは?「正義」とは?
  • 「個人の価値をたっとび」の「個人の価値」とは?
  • 「勤労と責任」の「勤労」とは?「責任」とは?
  • 「自主的精神に充ちた」の「自主的精神」って?
  • 「心身ともに健康」とはどういう状態?


どうでしょうか?答えられるでしょうか?


仮になんとか答えることができたとして、それが正しいと言える根拠はなんですか?





この条文を、教員採用試験のときなどに必死に覚えた人もいるでしょう。


けれども丸暗記をしたところで、「人格の完成」1つとっても、ほとんどの人はちっともわかってない。


つまり「教育に関わりのある概念が曖昧である」という状態なわけです。





また、これは何も教育基本法を持ち出して来なくても同様です。

  • 素直な子どもを育てたい!
  • 社会で使える知識を身につけさせたい



なーんて、熱弁する先生。


「素直」ってなんですか?


「社会で使える知識」ってなんですか?(そもそも知識とはなんですか?)




「生きる力」「コミュニケーション能力」「個性の発揮」「自己実現」「自立」「思いやり」「協力」「団結」「対話」…


学校ではいろんな言葉が飛び交い、なんならこうした言葉を使い、実際に子どもに指導していることでしょう…。




けど、これらの言葉の意味をあまり深く考えず、曖昧なまま使っている可能性はないですか?


また、あなたが思っているその意味は、本当に正しいのでしょうか?


先人たちはどのような見解を出しているのでしょうか?




そして残念なことに、こうした言葉・概念が曖昧なまま使われることによって引き起こされる教育問題というのは、実はたくさんあります。


自分自身、教育現場にいて、こうした言葉や概念について何も知らないと思ったし、知らないまま教壇に立ち続けるのはマズいと思いました。


他人の人生に影響を与える話ですからね…。





最初に戻ると、教育哲学は「教育に関わりのある概念や問題を分析し、明確にすること」でした。


教育哲学は言ってみれば、私たちが普段何気なく使っている言葉を見直す営みなんです。


「素直ってなんだろう?」「コミュニケーション能力ってなんだろう?」みたいな問いをもち、探究する。


これだって、立派な教育哲学です。




そして、こうした問いを探究すると、自分の考えが足りない部分や間違っている部分、逆に自信をもってよい部分などがきっと見えてくることでしょう。


このように教育哲学を通して、何気なく使っている概念を問い直してみることで、ひいては1つ1つの指導、子どもや保護者への向き合い方が、よりよい方向へと向かっていくことでしょう。

まとめ ー 自分のもの見方から自由になり、アップデートする

「教育哲学とは何か?現実の教育に役立つのか?」というテーマで書いてきました。


まとめると以下の通りです。

教育哲学とは何か?その必要性について考える

○教育哲学とは何か?
教育哲学とは、教育に関わりのある概念や問題を分析し、明確にすること

○教育哲学の必要性とは?現実の教育に役立つのか?
役立つ。教育現場で曖昧なまま使っている言葉・概念を問い直すことで、自らの指導などの足りない部分や自信をもってよい部分が見えてくる

○参考文献
『教育の哲学―ソクラテスから“ケアリング”まで』ネル・ノディングス 著、宮寺晃夫訳


教育哲学を学ぶといいと個人的に思うのは、自分が無意識の内に囚われている物の見方・考え方から自由になれることだと感じます。


自分の物の見方・考え方から自由になり、アップデートできたとき、今まで悩んでいたことや上手くいかなかったことが、いとも簡単に解決してしまう。


そんなことが起こります。


これは、小手先の教育技法を身に付けることでは、決して体験できないことでしょう。





残念ながら、今の学校現場は思考停止をしている先生も少なくないと感じます。


(それは本人の問題もありますが、忙しい毎日で考える暇もないというのもあるでしょう)


けれども、この記事をここまで読んでくださったみなさんは、少なくともそのような思考停止をした人ではないと思います。


みなさんも、どんなことでも構いません。


今ご自身が何気なく疑問に思っているテーマから、教育哲学を始めてみてはいかがでしょうか?