なぜあなたの指導はうまくいかないか?教員の根本的な3つの問題点

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あつい
あつい

元中学教員のあついです。

子ども・保護者とのトラブル、不登校、学力不振、授業崩壊・学級崩壊…
「指導がうまくいかない」と悩むあなたへ。


この記事は「教員の根本的な3つの問題」がテーマ。

「教育とはなにか?」を考えることで、教育の難しさ、教員の根本的な問題に迫ります。

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学校教員の根本的な3つの問題

子ども・保護者とのトラブル、不登校、学力不振、授業崩壊・学級崩壊…


学校で起こる数多くの深刻な問題…



その根本にあるものとして、以下の3つの問題を考えていきます。

学校教員の根本的な3つの問題

教員子どもの今の姿をつかめていない問題

教員子どもの望ましい姿が描けていない問題

教員、学校教育「おせっかい」になりがちだと自覚してない問題


私は元教員で現在も教育関連の仕事をしていますが、これら3つは、学校現場でそれはもう頻繁に実際に問題になっていると、断言できます。

きらら
きらら

なぜ、これらが根本的な問題だと言えるの?

あつい
あつい

それは、これら3つが「教育とはなにか」という根本的な問いから出てくる問題だからだよ。


いくつかの辞書から「教育とはなにか」を引いて以下にまとめました。



1つ1つ微妙に言い回しは違うのですが、以下の3つのポイントは共通です。

教育とは、

①望ましくはない今の姿から

②望ましい姿へ

③他人に意図的に働きかけて変化させる

ことである。


つまり教育を分解すると、①〜③のポイントがある。


そして、この①〜③の教育のポイントに、それぞれの難しさがあります。


その難しさゆえに、次の3つの問題が起こってくるのです。

教育の3つのポイント→教員の根本的な問題3つ

①望ましくはない今の姿から
教員子どもの今の姿をつかめていない問題

②望ましい姿へ
教員子どもの望ましい姿が描けていない問題

③他人に意図的に働きかけて変化させる
教員、学校教育「おせっかい」になりがちだと自覚してない問題



あつい
あつい

逆に言うと、3つの問題を克服していけば教員としてのレベルアップ間違いなし!

それでは早速1つ目の問題点
教員子どもの今の姿をつかめていない問題

から見ていきましょう。

問題点①教員、子どもの今の姿をつかめていない問題

1つ目は、教員、子どもの今の姿をつかめていない問題です。


改めて教育とは…

①望ましくはない今の姿から

②望ましい姿へ

③他人に意図的に働きかけて変化させる

こと


です。


つまり、教育は「教育する相手の今の姿が望ましくない」ということを前提としています。


けれどもこの時…

「そもそも今の姿が本当に望ましくない姿だと言えるのか?」

「望ましくないと言うけれど、いったいどのように望ましくないのか?」


こういう疑問は当然浮かびます。




そして教育が「望ましくない姿」を前提にすることを巡って、学校教育では、

  • 今の姿は「望ましくない姿」なのに、放置する
  • 今の姿は「望ましくない姿」ではないのに、不必要に指導する
  • 今の姿の「望ましくなさ」を正確に把握しないまま、的外れな指導をする


などの問題が、それはもう頻発しています。




これが1つ目の「教員、子どもの今の姿をつかめていない問題」です。

・今の姿は「望ましくない姿」なのに、放置する

・今の姿は「望ましくない姿」ではないのに、不必要に指導する

・今の姿の「望ましくなさ」を正確に把握しないまま、的外れな指導をする

教員、子どもの今の姿をつかめていない問題


それで、なぜこの問題が頻発するのか?


それはそもそも、教育において「教育の対象者の今の姿を把握する」というステップが軽視されがちだからだと、私は考えます。


その代わりに、教育ではやたらと「手法」にばかりこだわりがち。


けれども、本当は「教育の対象者の今の姿をきちんと把握する」ことは、めちゃめちゃ大事です。




というより、本来「今の姿を把握する」プロセスが欠けると教育なんてできないはずなんです。


それは、他の教育と似た仕事と比べてみるとわかります。


例えば「医療」がその典型例です。




「教育」と「医療」は以下の点で似ています。

「医療」と「教育」は似ている!

教育→望ましくない今の姿から、望ましい姿へ、他人に意図的に働きかけて変化させる

医療→「病気・不健康」という望ましくない今の姿から、「健康」という望ましい姿へ、他人に意図的に働きかけて変化させる


さて、「医療」のサービスを受ける時、一般的に何から始まるでしょうか?


いきなり「薬を出します!」「手術をします!」


とは当然なりませんよね。


病院に行って最初にすること、それは「診察」です。


つまり「望ましくない今の姿(不健康・病気)」について、しっかり把握するところから始まるわけです。




また、この分析の段階で間違いがあれば残りのプロセスは失敗します。


本当は「胃」に問題があるのに、「肝臓」に問題があると間違って診断され、治療が進んでしまえば、治るどころか害にすらなり得ますよね。



さらに、分析が大雑把すぎてもうまくいきません。


診察の結果「お腹のどこかに問題がありますね」というざっくりした診断結果では、治療はできないのです。


つまり、

「今の望ましくない姿」について、十分正確に把握できているか?


が「医療」がうまくいく前提となるわけです。

きらら
きらら

めちゃめちゃ当たり前のこと言ってるね。

あつい
あつい

うん、とっても当たり前のことを言ってるよ。

けど、学校の先生は、なぜかこの当たり前のことを軽視してしまいがちです。


医療で「診察」から始めるというのはごくごく当たり前のこと。


けれどもなぜか学校教育では、「子どもの今の姿を把握する」という当たり前のステップを軽視しているか、大きく失敗していることがとっても多いんです。


どのように「子どもの把握」に失敗しているのかを、具体例を交えながら以下にまとめました。

教員、子どもの今の姿をつかめていない問題

今の子どもの姿は「望ましくない姿」なのに、把握されない
例)
・そもそもまったく子どものことを把握する気がない、放任する、見て見ぬふりをする
・把握しようと努力はしているが「望ましくない姿」だと気づけない

今の姿は「望ましくない姿」ではないのに、望ましくないと把握される
例)
・「中学生はこういうものだ」などと、個を見ずにひとまとまりにする
・過去の行いなどから「この子は望ましくない」と決めつける

把握しようと努力はしているが、正確さに欠ける
例)
・何らかの発達障害があるのに、本人の努力が足りていないと考える
・心の不調の原因は身体の不調にあるのに、心だけの問題としてとらえる


なお私自身は、どれだけ頑張っても子どもの今の姿を100%は把握できないと考える立場です。


しかし「子どもを把握する」というのは0か100ではなく、「程度」があると考えています。


仮に最大値を100として、10しか把握できない教員と、60把握できている教員では雲泥の差が出るわけです。

あつい
あつい

子どもが言ってそうな
「先生は私のこと何もわかってくれない」
というセリフはこの1つ目の問題点と関係があります。

このように「教育の定義」を紐解くと、子どもの今の姿を的確に把握する力が、教員には必要だということがわかります。

さて、続いて2つ目の問題点。
教員、子どもの望ましい姿が描けていない問題
を見ていきましょう。

問題点②教員、子どもの望ましい姿が描けていない問題

2つ目は、教員、子どもの望ましい姿が描けていない問です。


改めて教育とは、

①望ましくはない今の姿から

②望ましい姿へ

③他人に意図的に働きかけて変化させる

こと


でした。


つまり「望ましい姿が描けていること」が、教育に必要なのです。


けれども「子どもの望ましい姿」とはどんな姿なのか、学校教員はちゃんと描いて指導ができているのでしょうか?


また、仮にある先生が、

〇〇な姿こそが望ましい姿だ。
子どもたちを〇〇な姿にしよう!


と言ったとして、それが本当に「望ましい姿」として正解なのでしょうか?




残念ながら学校教育では「子どもの望ましい姿を的確に描く」という点でも失敗しがちです。

「子どもの望ましい姿」が描けないまま、「なんでもあり」もしくは判断基準ブレブレの指導をする
→一貫性のない指導は、子どもの不満や、学級崩壊などにつながる

先生が描く「子どもの望ましい姿」が間違っていて(もしくは子どもに合っておらず)、押しつけ的な指導になる


ということが、数多く起こってしまっています。




これが2つ目の「教員、子どもの望ましい姿が描けていない問題」です。

・「子どもの望ましい姿」が描けないまま、闇雲に指導する

・先生が描く「子どもの望ましい姿」が間違っていて(もしくは子どもに合っておらず)、押しつけ的な指導になる

教員、子どもの望ましい姿が描けていない問題


望ましい姿を描けることが大事だということについても、「医療」を例に挙げるとよくわかります。


「診察→治療」と進んで、再び病院にいって「診察」されたときを想像してください。


その「診察」の結果、「望ましい姿(健康な姿)」になっていると判断されれば「治った!」と判断されますよね。


この時お医者さんは「望ましい姿(健康な姿)はこういう姿だ」ということを当然描けているから、「治った」と判断できるわけです。

きらら
きらら

確かに「治った」と判断できるのは、「望ましい姿(健康な姿)」を知っているからか…

って当たり前ー!

あつい
あつい

そうなのです。
どんな姿が望ましいかをお医者さんは描けているから、そこに向かっていけるわけだよね。

けれども教育は…


「医療」でお医者さんが、患者の「治った健康の姿」を描けていないといけないということは、非常に当たり前のことです。


けれども「教育」において教員は、子どもの「望ましい姿」がなかなか描けず、迷い、苦しみながら指導をしています。


では、なぜ「子どもの望ましい姿」がなかなか描きづらいのか?


それは、

教育の「望ましい姿」は医療とは違って、なかなか「科学的」には説明しづらいし、答えが1つに定まるものでもないから


であると考えます。




これが教科指導ならまだ言いやすいんです。


例えば「跳び箱5段跳べない」という今の姿があるなら、「跳び箱5段跳べる」という望ましい姿が描けるわけです。
(それほど単純でないことが多々ありますが…)


もしくはテストで平均点がとれたらOK、みたいな数値での判断もできます。




しかし、いわゆる「生活指導」や「人格形成のための教育」はどうでしょうか?


学校の教員は、教科指導で失敗することもありますが、不登校や学級崩壊など深刻な問題になるのは、生活指導の失敗のケースが多いです。


そして生活指導上の「子どもの望ましい姿」については、簡単に答えが出せない問題ばかりです。


以下に具体例を示しながら、まとめます。

教員、子どもの望ましい姿が描けていない問題

そもそも子どもの「望ましい姿」を描くのが難しい!

学校教育には答えが簡単にはわからない問題がいっぱい!
例)
・校則をきちんと守る子どもが望ましい?
・先生の言うことを”素直に”聞くのが望ましい?
・教育基本法に書いてある「人格の完成」した子が望ましい?というか「人格が完成」ってなに?
・そもそも子ども全員がなるべき「望ましい姿」なんてあるのか?
・時代は大きく変わっているが、これからの時代の「望ましい姿」はなに?

→「望ましい姿」がない闇雲な指導
→「間違った望ましい姿」の押しつけ


こうした問いに「これが望ましい姿です」という単一の共通の答えを導き出すべきだと言いたいわけではありません。


実際そんなことをしたら、かなり危険です。


子どものあるべき姿を「あまりに偏った理想像」に近づけようとする教員もいますが、それはそれで大問題です。


けれども答えが簡単に出ないからと言って、考えることを放棄したり、「なんでもあり」とすることも違うと考えます。

あつい
あつい

「なんでもあり」とした場合、教員の判断基準がブレブレになります。

結果として、真面目な子が損をするなど、子どもの間で不公平感を感じる子が出てくることでしょう。
保護者からも頼りない先生と見られ、場合によっては学級崩壊を招きます。

このように「子どもの望ましい姿」を描けるようになることは、間違いなく教員にとって必要な力です。

それでは3つ目の問題点。
教員、学校教育「おせっかい」になりがちだと自覚してない問題
を見ていきましょう。

問題点③教員、学校教育「おせっかい」になりがちだと自覚していない問題

3つ目は、教員、学校教育「おせっかい」になりがちだと自覚してない問題です。


学校教育は構造上どうしても「おせっかい」になりがちですんですが、そのことに自覚的でない教員がとても多い。


まず、学校教育がなぜ「おせっかい」になってしまうのかを、教育とはなにか?から考えます。


教育とは、

①望ましくはない今の姿から

②望ましい姿へ

③他人に意図的に働きかけて変化させる

こと


でしたね。

きらら
きらら

この「他人に意図的に働きかけて変化させる」というのが、「おせっかい」ってこと?

あつい
あつい

たしかにここがポイントではあるんだけど、実はこの1文だけで「おせっかい」になるとは限らないんだよ。


ここでもう一度「医療」と比較してみましょう。


「医療」だって「他人を望ましい姿に意図的に変化させる」という点では教育と同じですよね。


けれども「医療」は「おせっかい」なのでしょうか?


自ら病院に行って、病院の先生から治療をしてもらって、

まったく、おせっかいだわ!


とは、普通はなりませんよね?





では「他人を意図的な変化させる働きかけ」が「おせっかい」になるかどうかを分けるポイントは何なのか?


それは、

本人に「変わりたい」というニーズがあるかどうか


です。


そして、ニーズが全くないにも関わらず、他人を意図的に変化させようとするとき、「おせっかい」になってしまうのです。


学校教育であろうとも、本人にニーズがあれば、先生の指導は「おせっかい」にはなりません。


例えば子どもが、

私変わりたいんです!
先生教えてください!


などと言っているときは、基本的には「おせっかい」にはなりません。
(子どものニーズを上回る過剰な指導になると「おせっかい」になる可能性もある)




ただ、みなさん簡単に想像できると思うのですが、学校にはこんなこと思う子どもは、あまりいません!!



自分が望ましくない姿だと危機感を持ち、変わるために学校に来ている子はどれほどいるでしょうか?


自己啓発のために習い事に通う大人とは違い、学校教育では子ども側に特段「変わりたい!」などの強いニーズはないことが一般的です。
※「成長したい」「楽しいことならやってみたい」という潜在的・本来的なニーズはあると思いますが、それも教員側の導きが失敗すると失われていきます。


授業だって受けなくていいのなら受けたくない、と思っている子どももたくさんいるでしょう。


家でゲームして過ごしていたいと思っている子どもだっています。




けれども、別に変わりたいとなんか本人は思っていないのに、

あなたの今の姿は望ましくないので、望ましい姿へ変わりなさい


みたいなことを、学校で言われるわけです。


「言われる」というか、学校教育はそのような構図で行われると言う方が正しいでしょうか。




「子どもにニーズがない中で指導する」という構図を学校教育で避けられず、結果として「おせっかい」になりがち…となります。

学校教育は、子ども側に「変わりたい!」という明確なニーズがないのに、「今のあなたは望ましくなく、望ましい方向に変わる必要がある」という構図で行われることがある

学校教育は「おせっかい」になりがち



きらら
きらら

子どものニーズがないことには指導しなければいいじゃん!
もしくは子どものニーズを作り出すか。

あつい
あつい

「子どものニーズを作り出す」というのはいい視点だね。

教員の工夫次第で子どもの「もっと学びたい!成長したい!」というニーズを作り出すことは可能だよ。

というより本来そういうニーズがあるはずなのに、いつの間にか失われてしまうと言った方が適切かもしれない。

けれども、きららの言ってるように、「子どものニーズがないことには指導しない」というわけには残念ながらいかないよ。


学校教育では、子どものニーズに反した指導を避けては通れません。


例えば、子どもは苦手教科であっても、時間割にある教科は「大事なこと」として絶対に受けなければなりませんよね。


これは、構図として「おせっかい」になってしまう典型です。




また、クラスで何か問題行動が見つかった子どもがいたとします。


このとき本人は「自分が悪い」と思っていなくても、教員は「あなたの今の姿は望ましくない」といって、変わるように働きかけなければいけないときがあります。


これだって、構図として「おせっかい」以外の何物でもないのです。


相手はそんな働きかけを望んではいないのだから。




このとき、学校教員は自分が「おせっかい」をしているという自覚をしないまま指導して、大失敗することがよくあります。


子どもにニーズがないことなんてお構いなしに

・授業を受けるのは必要なこと

・お前が望ましくないのは以上の証拠より明らかなんだから、変わりなさい


などと「常識や正論」「教員の権威性」みたいなものを盾に指導をするわけです。



結果、子どもは反抗し、時には保護者も出てきて大問題に発展します。


教員側は自分の言っていることは間違っていない、あいつは間違っているの一点張りです。




確かに言っていることは間違ってないかもしれません。


けれども問題は「理屈として正しいかどうか」じゃないんです。

どれだけ正しかろうが、子どもにとってニーズがない指導は「おせっかい」なんです


「おせっかいさ」を自覚的せず、子どもの気持ちを組まない指導になってしまっているところに、大きな問題があるということです。

教員、学校教育「おせっかい」になりがちだと
自覚してない問題

学校教育は子ども側に明確なニーズがないまま行われる「おせっかい」が起こりがち

例)
・子どもが「受けたくない」と思っている授業
・子どもが「自分が決して悪くはない」と思っているのに行われる生活指導

こうした指導が「おせっかい」だということを自覚せず、「常識や正論」「教員の権威性」を盾に指導


子どもにニーズがないときの教育は、どうあがいても「おせっかい」なんです。


「おせっかい」になりたくなければ最初に考えるべきことは、子どもの側にニーズを作り出すことでしょう。

楽しい!
成長が感じられる!



と、子どもが思えるような教育をすることで、ある程度までは子ども側に「もっとやりたい!もっと成長したい!」というニーズを作り出すことができます。


けれども、そうした努力にも限界があります。


学校教育ではどうしても「おせっかい」をしなければいけないときがあるということです。


ではそのときは、どうすればいいか?


それは

子どもの気持ちや立場を最大限配慮して指導をする


これに尽きるのではないでしょうか。


あつい
あつい

そもそもこの問題点を提起したのは、教育とは何か?の
他人に意図的に働きかけて変化させる
という部分からでした。

つまり、この問題は「働きかけ方」の問題でもあるとも言えます。

「おせっかい」という構図に陥りがちな学校教育の中で、いかに子どもに働きかけていけばよいか?

教員はこの問いについて考え続ける必要があるのです。

まとめ ー 3つの根本的な問題を克服すれば”よい教員”になれる!

学校教員の根本的な3つの問題というテーマで書いてきました。


まとめると以下の通りです。

学校教員の根本的な3つの問題点

教育とは何か?

教育とは、

①望ましくはない今の姿から
②望ましい姿へ
③他人に意図的に働きかけて変化させる

こと

学校教員の根本的な3つの問題

①教員、子どもの今の姿をつかめていない問題
②教員、子どもの望ましい姿が描けていない問題
③教員、学校教育「おせっかい」になりがちだと自覚してない問題

→これら3つの問題点が、学校の数多くの具体的な問題の根本にある!


教育の3つのポイントにはそれぞれの難しさがあり、それゆえに3つの問題が起こります。


が、これは逆にいうと、これらの問題を克服すれば”よい教員”を目指せる、指導がうまくいく、ということ。



つまり、”よい教員”になるは、以下の3つのポイントがあるということです。

“よい教員”になる3つのポイント

①望ましくはない今の姿から
→子どもの今の姿を的確につかめるようになる

②望ましい姿へ
→子どもの望ましい姿を的確に描けるようになる

③他人に意図的に働きかけて変化させる
→相手のニーズや抱えている課題を踏まえて、的確に働きかけられるようになる


ただ、このように書くと簡単そうに見えるかもしれませんが、これら3つのポイントは、簡単な話ではありません。


1つ目の「子どもの把握」も簡単にできないから失敗するんです。


2つ目の「望ましい姿を描く」のも簡単にできないから失敗します。


3つ目の「働きかけ」についても簡単じゃないから失敗します。



なので、これら3つのポイントを意識しつつ、修行は当然必要です。


最後にこれら3つのポイントを踏まえて、”よい教員”になるためにどんなことをしていけばよいか、簡単に書いて終わります。

“よい教員”になるために欠かせないこと

・「個」に向き合うこと
全員に適応できる「今の姿」「望ましい姿」なんてあるわけない!それぞれの子どもにあった教育がある。

・勉強すること
「今の姿の把握」だったら心理学の勉強は役に立つ。
「望ましい姿を描く」だったら哲学や倫理学、あとは世の中の流れを知り、今どのような力が求められているかを知ることも大事。
これらに加え、教科教育の専門知識も当然必要。

・子どもの立場や気持ちを考えること
特に子どもの側にニーズがない場合の指導に最新の注意を払って働きかける。頑張っている子どもに敬意をもつ。ちょっとでも楽しい方法をとる。

・自分が間違っているんじゃないか?と疑うこと
どれだけ勉強しても「絶対正解」にはたどり着けない。なぜなら、目の前の子どもは「人間」だから。工業製品ではないから。100%理解できることなんかない。ということは常に教員は間違える可能性があるということを知る。



“よい教員”になるには必須項目である授業作りについても書いていますので、ぜひ合わせてお読みください!


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