藤原辰史が「コロナ新時代への提言2」で語ったこと(BS1)

哲学
ゆるい
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こんにちは!大学院で教育哲学を研究する中学教員のあつくてゆるい(@atsukuteyurui)です。

この記事では、BS1で放送された、
「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」

から、藤原辰史氏のパートをまとめたものです。

藤原辰史氏は、コロナウイルスに翻弄される現代の状況について、何を語ったのでしょうか?

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冷徹に問題を見よ

これまでも感染症との壮絶な戦いを繰り返してきた人類。私たちはウイルスと共存できるのか?

この問いに、20世紀の戦争と農業の関係を見つめてきた歴史学者、藤原辰史氏が答えます。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より
ゆるい
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藤原氏は歴史から学ぶこと一貫して主張します。


例えば、100年前にあったスペインかぜの大流行を見ると、3回ほど波があり、波と波の間に数ヶ月がありました。


しかし、人々は油断をしたり、次の準備を怠ったりして、さらなる悲劇をもたらしたという事実があるのです。


そういうことを歴史から学べるのに、私たちはこれで問題ないだろう、これでOKだろう、となってしまいがち。

冷静では足りない。まずは冷徹に問題を見てみることを考えたい。



と、藤原氏はまず主張します。

人間は遠くの希望にすがりたくなる生き物

では、なぜ私たちは冷徹に物事を見なければならないのか?


藤原氏が考えた『パンデミックを生きる指針』の中で、彼は次のように述べます。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より

【参考】藤原辰史:パンデミックを生きる指針——歴史研究のアプローチ


経済危機やコロナウイルスに感染するリスクなど、我々が不安に駆られている時、とてもわかりやすくて単純なメッセージを求めがちです。


例えば、第1次世界対戦は今の視点からは5年間も続いた長い戦争だったと認識されていますが、始まった当初はすぐに終わるという楽観的な希望がありました。


ドイツではヴィルヘルム2世が、

ヴィルヘルム2世
ヴィルヘルム2世

クリスマス前には戦争が終わります!
兵士の皆さんを家庭に戻しますよ!


と公式に述べていました。


しかし、結局クリスマスどころか1918年まで戦争が続きました。




事情は日本でも同じです。アジア太平洋戦争で敗退していても、「転進」「撤退」ではなく「転進」という言葉を使って、人々に発表して行ったわけです。


歴史というのは常に為政者や権力者たちが、曖昧な言葉、あるいは人々がふとすがってしまうような言葉、わかりやすくうっとりするような言葉で人々を惑わすのです。


私たちは、そうした「甘い言葉」に警戒を続けなければならないのです。

ゆるい
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この番組の中で1つのテーマとなっている、漫画版『風の谷のナウシカ』を例に藤原氏は続けます。

ナウシカの世界でも権力者による根拠のない甘い言葉がささやかれる。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より

ためらう部下たちも、権力者の言葉によって戦争を長引かせる悲劇へと突き進む。


人種主義(※)は、基本的な設定として「あなたは正しいんだ」という甘いメッセージが組み込まれています。
※人種間に根本的な優劣の差異があり、優等人種が劣等人種を支配するのは当然であるという思想


ここで大変危険なのは、「正しいあなた」というものを点検する自分が消えてしまうという点です。

自分たちの頭で考えて「これは敗退なんだ、撤退なんだ」と冷静に客観的に判断し、次なる新しい方策というものを考えてなければならない


けれども、われわれは「自分は正しい」と思い込むことにより、それをまったく疑おうとしないという回転に巻き込まれてしまうのです。


自分たちはそうした回転に巻き込まれていないだろうか?と、常に点検し続けなければならない。


このことを、新型コロナウイルスが教えてくれたと、藤原氏は考えています。

コロナ禍の問題を、戦争のように捉えることの危険性

今人類はコロナ禍の問題を、まるで戦争のように捉え、勝ち負けの判断をするようになっていないだろうか?

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より
BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より

歴史を振り返ると、戦争が私たちの間に排除を生んできたと藤原氏は言います。


「勝ち」という大きな目標は非常に強い力であり、勝つためなら色々な犠牲が払われる。これが日常になってくるのです。


また「勝ち」に対して、少しでも足を引っ張るような人たちを、例えば第二次世界対戦では非国民という形で非難し、攻撃をしてきたという過去があります。


そのような「排除」が戦争状態になると出てくるのです。



例えば、魔女狩りのような形で新型コロナウイルスが発生した場所に向けて攻撃的な言葉を発したり、医療従事者に対しても攻撃的な言葉が投げかけられたり、そういうことが現実に起きてきています。


ひとつの場所にみんなが石を投げているから、そこに向けて投げよう、石を投げようということが、この危機の時代になって本当によく見えるようになっています。


ゆるい
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いわゆる「自粛警察」と呼ばれるものから思い浮かべるのは、ナチスの時代の「民間監視人」であると藤原氏は言います。


その時代に非常に多くの私服の「民間監視人」がいましたが、彼らは普段は普通の生活を送っています。


けれども、何かまずい言動があった時には報告する人が多くいて、これがナチスにとって非常に都合が良かったのです。


何かに便乗をする形で、住民の中で監視装置が出来上がったり、自分の頭の中に監視装置が出来上がったり…

これはまさに今起こっていることであるが、ナチスが過去に行ってきたとこと似通っていることが起こっているという違和感を感じる。


藤原氏はこのように警鐘を鳴らします。

文明国家の基準はただ一つ。弱者に接する態度である。

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ここで藤原氏は、コロナ禍で心を打たれた言葉として、武漢の封鎖の時に日記を綴って公開をしていたファンファンさんの言葉を紹介します。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より

都市封鎖された武漢在住の作家ファンファンは、封鎖されたおよそ2ヶ月間毎日の状況を日記に綴り、インターネットで公開しました。


以下は、そのファンファンさんの日記からの抜粋です。

一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。

基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である

コロナウイルスのパンデミックがどこにしわ寄せがいくのかということを、ファンファンさんはこの言葉で明らかにしてくれたと藤原氏は考えます。


この言葉の中で重要なのは、

文明国家の基準としてその弱者に接する態度というものがある

ということ。


つまり、私たちは今回のコロナウイルスの感染拡大で、どこに目をつぶっていたのかが見えてきたのです。

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一例として、藤原氏は弱者が働かされている食肉工場の集団感染の問題を挙げます。


食肉工場で、ドイツでは4回位集団感染が起こり、アメリカでも非常に多くの従業員の人が感染して、そして亡くなっていきました。


そして、今回明らかになったのは、この労働環境というものが非常に厳しいものだったということ。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より



そもそも人がギュッと密な状態で集まらないとできない作業であると同時に、どんどん作れ作れというプレッシャーの中でなかなか休めません。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より


そして、ドイツの場合は多くがブルガリアやルーマニアからやってきた東方の労働者、アメリカでは黒人やヒスパニックという人が食肉の工場で働かされていていました。


私達は一体何に支えられているか?


例えば、「リモートワークができない人たち」がいなくなったら、「リモートワークができる人たち」は存在が成り立たないでしょう。


自分の今の暮らしが、実はこうした場所と繋がっていたということに気づかされるわけです。


生きることがすごくしんどくなったり、生活することが困難になったりすることは誰でも十分にあり得ますし、既にこういう状況に陥ってる人がいっぱいいます。


その時に、そういう状況だとしても、なんとか生きていけそうだと思える社会こそが文明国家であるはずです。


けれども、いつのまにか物質に囲まれていることが文明国家の基準だということを思うようになっちゃってしまっているのです。

潔癖主義の危険性

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藤原氏の話は、後半に入り少しテーマが変わります。

コロナウイルスと潔癖主義の問題をつなげて、彼は語ります。


まずは、ナウシカの引用から…

菌類の出す猛毒の大気によって、人を死に至らせる深い「腐海」の奥底に落ちたナウシカは愕然とする。

予想とは違い清らかな空気に満ち溢れていたのだと、ナウシカは気付く。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より

人を殺す腐海が、実は人が汚した世界を浄化し、人を救う存在でもあったのだ。

私たちが汚れそのものだとしたら。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より


「人類と腐海の共生」


「共生」という美しい言葉で人々を導き、世界を変えた正当に「ナチス」があります。


ナチスは1933年には動物保護法という法律を作り、1935年には自然保護法という法律を作っています。


この法律は、ドイツの自然を、経済が破壊しており、そういった意味でもう一度経済を見直すべきだということさえ言っています。



この自然との共生という言葉は、ナチスの農学のトップであったコンラート・マイヤーという農学者が言った言葉です。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より

これからのドイツの農業は、化学肥料を与えすぎないように、むしろ有機質肥料を使いながら、サスティナブルにやっていこう

ということを言った人で、私たちの今の考えと近いところがあります。


このように動植物との「共生」をうたったナチスドイツですが、そこに他民族との共生は含まれていませんでした。



このコンラート・マイヤーという農学者の頭の中に、人間はある人間と共生できないという人種主義が普通に並存していました。


高貴な性質をもつアーリア人には含まれない人種や、そうではないドイツ人は排除される。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より

ナチスというのはユダヤ人をガス殺によって虐殺していきます。


つまり、消毒するための薬品によって、ユダヤ人を虫のように殺していったわけです。


この事実は何かを象徴していると藤原氏は考えます。




自然との共生を歌う一方、ユダヤ人を始め、スラブ人や、障害者等を排除したナチス。


犠牲者はおよそ1300万人とも言われています。

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この負の歴史が伝えるもの、それは潔癖主義の恐ろしさだと藤原は言います。

ナチスの研究者のブロイエルはナチスのことを「清潔なる帝国」と呼び、清潔志向に取り憑かれた政治集団だったと述べています。


別の民族は汚れを持っているから、無駄だとか邪魔だとかというものを、一斉に消したくなるということが、軒並み20世紀に起こっているのです。


この人間の人間に対する潔癖なクレンジングと、人間の人間以外の生物に対する潔癖なクレンジングというものの、両方がリンクして進められていく。

ものすごい潔癖主義にみんなが走ってしまう。そして、潔癖主義は感染して行くので、その中でだんだんと自分たちの行動範囲が狭まっていく。


藤原氏は、このように訴えます。

綺麗すぎる人間観を見直していく

生物学者の福岡伸一氏から藤原氏に対して、質問が投げかけられます。


※福岡氏のパートは次の記事にまとまっています。

福岡氏:

「行き過ぎた消毒文化が、かえって生きている生命体としての私たち、あるいはピュシスとしての生命に対して有害であるのではないかと思います。

もともと私たちというのは不潔な生物ですから、様々なものを出しているし、様々なものを受け取っているわけです。

ある種の潔癖主義が暴走しないようにするにはどうしたらいいか。」

藤原氏:


純粋なもの・清潔なものを求める思考は、例えば農業のテクノロジーでも出てきています。


例えば、細胞を実験室で培養して肉を作る「培養肉」という技術があります。これは、屠殺とさつのステップを外して綺麗な肉を実現する技術です。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より

つまり、食に関することが、「綺麗なもの・美しいもの」として消費するテクノロジーがどんどん出来ています。


しかし、そもそも人間は汚れと清潔さを両方持つ存在であって、それは食べ物が一心に表しています。


人間はご飯を食べたり、水を飲んだりして、それを排出しますが、これはまさに上水道と下水道と同じ。


上水道は口につなげ、下水道をお尻につなげているような存在であり、上水と下水の狭間にあるのが人間の定義であるのです。

綺麗すぎる人間観をもう1回見直していく。

これが、今回新型コロナウイルスの感染拡大の中で私たちが見つけ出そうとしている人間観。

人間と人間、あるいは人間と自然も、そんな簡単には「共生」はできない。


この前提にもう1回立ち返ってみるのが、この悪循環から逃れることであると藤原氏は考えます。

完璧でキレイすぎる世界はディストピア

「さよなら、ごめんね、こんなところに置き去りにして」

旅を共にしてきたテトを埋葬するナウシカ。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より

そこにこの庭の主人が現れ、招かれる。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より

滅びたはずの草花が咲き、果実が実る、理想郷のような場所。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より
BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より

汚れが一切ない世界。しかし…

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より

ナウシカは、テトの死を忘れかけている自分に、恐れおののく。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より

その場所は、ナウシカを足止めさせる罠だった。

死への悲しみや不安すら排除する汚れなき場所に、ナウシカは違和感を覚える。

BS1「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗」より

そして汚濁を排除した世界では、人は生きることはできないと悟る。

ナウシカのこの場面で描かれているような、完璧で綺麗すぎる世界というものを、私たちは夢見てしまいます。


しかし、これはディストピアであると藤原氏は考えます。

自分の違和感に正直になる

これからの社会を考えていくときに、様々な葛藤、すれ違い、対立などをもたらしてくるかもしれません。


けれどもその対立をしっかりと対立として受け止め、そこからヒントを得て新しい社会を見つけていく。


我々は、絶対に思考停止をしてはいけないのです。

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