ニーチェとクラフトインターネット もう一つの「神は死んだ」

徒然

ニーチェが「神は死んだ」と宣言したとき、人々は戸惑ったという。それまでの価値観を根底から覆されたからだ。そんな時代の変わり目に、私たちは今生きている。

Google、SNS、アルゴリズム。いつの間にか、私たちはそれらの新しい神に支配されるようになってしまった。利便性を得た代償に、自由を失ったのだ。

かくいう私も、SEO 対策に翻弄され、アルゴリズムの気まぐれに一喜一憂する日々に疲れていた。本当に書きたいことが書けず、自分を見失いそうになっていた。そんなとき、ニーチェの思想に出会った。

ニーチェが理想とした「超人」。それは群衆に惑わされず、自分の信念を貫く人のことだ。時代に流されず、自分の人生の物語を紡いでいく人だ。今の時代、超人になるには、アルゴリズムの檻から抜け出さなくてはならない。自らの言葉を取り戻さなくてはいけない。

そう思った私は、思い切ってブログのリニューアルに踏み切った。Google の顔色を窺う記事は削除し、自分の声だけを残した。アクセス数も収益も下がったが、手に入れた自由と比べれば、そんなものはどうでもいいと感じた。

タイミングを同じくして、「クラフトインターネット」という、昔ながらの素朴なウェブへの回帰運動を知った。自分の手で丁寧に作る、温もりあるインターネット。アルゴリズムの支配は受けない。規格化された大量生産のウェブとは一線を画す場所だ。

ニーチェの哲学は、この思想と重なる。神話の外側へと飛び出し、自らの価値観に基づき、自由に表現する。内なる声に正直に生きる。

クラフトインターネットの思想において、私たちは新たな「神の死」を迎えるだろう。しかしそれは絶望ではない。新しい地平が開けるのだ。もはや Google の支配下にはいない。自分だけの物語を生きる。それが、生き生きとした人生への一歩となる。

もしニーチェが生きていたら、きっとブログを始めていただろう。孤高の思想家の言葉が、静かにインターネットに響いていたはずだ。

私も自分の言葉を紡ぎたい。内なる声に忠実に。超人への一歩を踏み出すために。自分だけの庭を耕すように、言葉を育てる。それが私にとってのブログだ。

もう一つの「神の死」の先に、きっと素晴らしい景色が広がっているに違いない。


参考:誰も言ってない「クラフトインターネット」を考える