自分自身の「畑」を耕す。「人生は両極じゃない “脱構築” する生き方」(千葉雅也・波頭亮 対談動画)感想

徒然

約1年前、「人生は両極じゃない “脱構築” する生き方」というタイトルの動画に出会った。最近再び視聴し、その価値を再確認したので紹介したい。この動画は、哲学者の千葉雅也氏と経済評論家の波頭亮氏による対談だ。

対談は、現代社会の閉塞感や経済的合理性への偏重が議論され、若者のキャリアと生き方に対する示唆に富む。特に印象的だったのは、1980年代に哲学者ジル・ドゥルーズや浅田彰が提唱した「逃走」の概念を現代的に解釈し直す試みだ。

かつて「逃走せよ」というメッセージは、固定的な社会構造や価値観からの脱却を促すものだった。それは、既存のシステムから離れることで新たな可能性を見出すという楽観的な考えに基づいていた。

しかし、現代ではインターネットの普及により、一見自由に見える環境が実は新たな形の管理社会を生み出し、経済的不安定さも増大している。このような状況下では、単に「逃走」するだけでは、別の形の束縛に陥るか、あるいは社会から完全に取り残されるリスクが大きい。

そこで彼らが提案するのが、「逃走」から「耕作」への転換だ。これは、既存のシステムから完全に逃れるのではなく、そのシステムとの関わり方を変え、同時に自分自身の基盤を築いていく生き方だ。

具体的には、既存の仕事や社会関係を維持しながら、自分自身の「畑」(スキルや知識、独自の視点)を耕すことの重要性が強調される。この「畑」は、将来の選択肢を広げるだけでなく、現在の立ち位置をより強固にし、社会の変化に柔軟に対応する力を与えてくれる。

この生き方は、私自身の経験と強く共鳴した。20代前半、大学院を中退して「逃走」を試みたが、何も積み上げてこなかった自分の空虚さに直面した。リーマンショックや東日本大震災後の厳しい経済状況も相まって、大きな挫折を味わい、結果として一般的なサラリーマンの道を選ばざるを得なかった。

しかし、この挫折は私の人生の転換点となった。あの時の悔しさをバネに、以来15年近く、心を入れ替えて学び続けてきたつもりだ。それはつまり、自分の「畑」を耕してきたのだと。この動画に出会い、これまでの取り組みが間違っていなかったと勇気づけられた。

幸いなことに、ここ数年はそれが具体的な成果として少しずつ表れてきた。本業での仕事も安定し、さらには外部でも複数の収入源を確保し、資産的にも余裕が生まれつつある。この動画で語られているように、安定かリスクかの二者択一ではない、第三の道を歩んできたのだと思う。

そして今、再び「逃走」のタイミングが近づきつつあると感じる。主たる仕事におけるストレスや閉塞感はどうしても払拭できず、そこからの「逃走」は避けられそうにない。数年後には、これまで耕してきた「畑」をベースにした、より自由度の高い生き方へのシフトを試みたい。

この動画との出会いは、私の人生の方向性を再確認し、新たな決意を固める貴重な機会となった。「脱構築」の精神を胸に、これからも学び続け、自分の「畑」を耕し続けることを決して止めない。

安定と挑戦の狭間で揺れ動きながらも、常に新しい可能性を探求し、自分らしい第三の道を切り開いていく。それこそが、この動画が教えてくれた「両極ではない生き方」の本質なのだと信じている。