『現代思想入門』(千葉雅也)要約・感想・レビュー【書評】現代社会に息苦しさを感じる人必読

哲学

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「哲学や現代思想に興味があるけれども、過去に挫折したことがある」
「最近の社会になんだかモヤモヤしている」

そんなあなたのために『現代思想入門』を徹底レビュー。この本のポイントや魅力がわかります。

今回紹介するのは『現代思想入門』。どこか閉塞感のある現代社会を生きていくためのヒントを、哲学・現代思想の観点から得られる良書です。

著:千葉雅也
¥935 (2023/01/23 17:40時点 | Amazon調べ)
  • 書籍名:現代思想入門
  • 著者:千葉 雅也
  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社
  • 発売日 ‏ : ‎ 2022/3/16
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 248ページ

人生を変える哲学が、ここにある――。
現代思想の真髄をかつてない仕方で書き尽くした、「入門書」の決定版。

Amazon内容紹介より、一部抜粋


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『現代思想入門』(千葉雅也)要約・感想・レビュー【書評】

要約・ポイント

1. 現代思想を学ぶと、単純化できない現実の難しさを「高い解像度」で捉えられるようになる

現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになるでしょう。
——と言うと、「いや、複雑なことを単純化できるのが知性なんじゃないのか?」とツッコミが入るかもしれません。ですが、それに対しては、「世の中には、単純化したら台無しになってしまうリアリティがあり、それを尊重する必要がある」と言う価値観、あるいは倫理を、まず提示しておきたいと思います。〔…〕 現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。それが今、人生の多様性を守るために必要だと思うのです。

『現代思想入門』千葉雅也著 p12〜14(はじめに「今なぜ現代思想か」より)

2. 物事は「仮固定的」な同一性と、ズレや変化(差異)が混じり合って展開していく(同一性は絶対ではない)

現代思想とは、差異の哲学である。
「差異」は、「同一性」すなわち「アイデンティティ」と対立しています。同一性とは、物事を「これはこういうものである」とする固定的な定義です。逆に、差異の哲学とは、必ずしも定義に当てはまらないようなズレや変化を重視する思考です。〔…〕 差異の方を強調し、ひとつの定まった状態ではなく、ズレや変化が大事だと考えるのが現代思想の大方針なのです。
こうした考え方に対し、「物事の同一性を定義することを批判して、何か微妙なところばかりを言えばいいと思っているのか」、「同一性を崩せばいいのか」といった批判が出てくる可能性があります。〔…〕それに対しては、これは僕の解釈という面が強いのですが、デリダはべつに脱構築によって全部を破壊しろと言っているわけではないとまずは答えたい。あくまでも脱構築は「介入」であって、すべてが崩れるなんていうことは考えられていません。ですから、何か「仮固定的」な状態と、その脱構築が繰り返されていくようなイメージで、デリダの世界観を捉えてほしいのです。

『現代思想入門』千葉雅也著 p36〜37(第一章「デリダ——概念の脱構築」より)

3. デリダ——概念の脱構築
未練込みでの決断という倫理性を帯びた決断をできる者こそが本当の「大人」

確かに人は、物事を先に進めるために、他の可能性を切り捨てて、ひとつのことを選び取らなければなりません。しかしそのとき、何かを切り捨ててしまった、考慮から排除してしまったということへの忸怩じくじたる思いが残るはずです。そしてまた、そのとき切り捨てたものを別の機会に回復しようとしたりすることもある。
ここでまた仮固定と差異の話を思い出していただきたいのですが、 すべての決断はそれでもう何の未練もなく完了だということではなく、常に未練を伴っているのであって、そうした未練こそが、まさに他者性への配慮なのです。我々は決断を繰り返しながら、未練の泡立ちに別の機会にどう応えるかということを考え続ける必要があるのです。
脱構築的に物事を見ることで、偏った決断をしなくて済むようになるのではなく、われわれは偏った決断を常にせざるをえないのだけれど、 そこにヴァーチャルなオーラのように、他者性への未練が伴っているのだということに意識を向けよ、ということになる。それがデリダ的な脱構築の倫理であり、まさにそうした意識を持つ人には、優しさがあるということなのだと思います。

『現代思想入門』千葉雅也著 p51〜52(第一章「デリダ——概念の脱構築」より)

4. ドゥルーズ——存在の脱構築
一見バラバラに存在しているものでも実は背後では見えない糸によって絡み合っているという世界観

AとBという同一的なものが並んでいる次元のことを、ドゥルーズは「アクチュアル」(現働的)と呼びます。それに対して、その背後にあってうごめいている諸々の関係性の次元のことを「ヴァーチャル」(潜在的)と呼びます。我々が経験している世界は、通常は、A、B、Cという独立したものが、現働的に存在していると認識しているわけですが、実はありとあらゆる方向に、すべてのものが複雑に絡まり合っているヴァーチャルな次元があって、それこそが世界の本当のあり方なのだ、というのがドゥルーズの世界観なのです。

『現代思想入門』千葉雅也著 p63〜64(第二章「ドゥルーズ——存在の脱構築」より)

5. フーコー——社会の脱構築
社会のクリーン化によって、統治はより強まっていく

今日不利だとされるカテゴリーが不利なのは、そもそも有利なカテゴリーが前提としてあるからです。こういう構造について批判する道具を、フーコーは与えてくれます。
フーコーの見立てによれば、一七世紀中頃に監獄というシステムができて、犯罪者の隔離が始まるのですが、その時期に、狂気の隔離も起こり始めたというのです。それ以前は、言ってみれば、もっとワイルドな、わちゃわちゃした世界でした。その後、監獄あるいは、監獄的な空間——病院などの施設のことです——にノイズを集約することによって、主流派世界をクリーン化していくことになった。
こういうクリーン化こそ、まさに近代化と言うべきものです。
そして近代化には、ある意味、隔離よりも重要な側面があります。古い時代には、隔離していた者たちを、だんだんと、「治療」して社会のなかに戻す動きが出てきます。しかし、それは人に優しい世の中に変わったということなのかといったら、そんなことはありません。フーコー的観点からすると、統治がより巧妙になったと捉えるべきなんです。つまり、ただ排除しておくのだったらコストがかかるばかりだけれど、そういう人たちを主流派の価値観で洗脳し、多少でも役立つ人間に変化させることができるのであれば、統治する側からすればより都合がいいわけですから。
こういうかたちで、統治は人に優しくなっていくようでいて、より強まっていくのです。そんなふうに言うと、なんて意地悪な見方なんだと思うかもしれませんが、フーコーから得られるのはこういう見方なんです。その上で、フーコーには、正常と異常がはっきり区別されないで、曖昧に互いに対して寛容であるような状態をよしとするような、そういう価値観が全体的にあると捉えたらよいと思います。

『現代思想入門』千葉雅也著 p91〜92(第三章「フーコー——社会の脱構築」より)

感想・書評

最近なんだか息苦しいことが増えたと感じる人へ “処方箋” としての哲学

どこもかしこもコンプライアンスでガチガチに固められていたり、多方面に配慮しすぎるあまり身動きとれなくなったりしている現状…。「昔の方が自由だった、もっと面白いものが作れた」と感じることはないでしょうか。

面白いものを作るには “余白” や “遊び” が必要なはず。個人の多様性に配慮するために「よかれ」と思って作られたルール、新たなラベリングによって、逆に多様性が奪われてしまっている。フーコーの章でも述べられてますが「権利を守るべき」「個人に配慮すべき」だと主張することで、逆に自らすすんで統治されに行っているところがすごくあると思うんです。

『現代思想入門』ではデリダ、ドゥルーズ、フーコーという3人の哲学者の思想を借りて、そうした社会課題に切り込んでいきます。この本を読めば、あなたがこれまでの当たり前だと思っていた見方が “脱構築1” され、スッキリとした気持ちとともに、少なからず新たな視点を獲得していることでしょう。

  • 物事を二項対立で捉えない
  • 人生のリアリティはグレーゾーンに宿る
  • 未練込みでの決断をなす者こそ「大人」
  • 秩序の強化を警戒し、逸脱する人間の多様性を泳がせておく


私自身、クリーン化・秩序化されるすぎる社会に悶々としている一人ですが、「そうそう!そういうことを思っていたんだよね!」という言葉になりづらいところを、言葉にしていくれていると感じました。

人間は生きていく以上、広い意味で暴力的であらざるをえない

人間は生きていく以上、広い意味で暴力的であらざるをえないし、純粋に非暴力的に生きることは不可能であるということは、言わずもがなの前提なのです。だからこそ、ここが誤解を招くところだと思うのですが、この言わずもがなの前提の上で、そこにいかに他者の倫理を織り込んでいくかと言うことが問題になっているのです。

『現代思想入門』千葉雅也著 p41(第一章「デリダ——概念の脱構築」より)

この本を読んでいて、まず心を掴まれたのが、上記のようなメッセージがこめられたデリダの章。というのも、私自身同じようなテーマを考えるきっかけがあったからです。

子どもが生まれた当初、twitter で子どものことをちょこちょこツイートしていた時期がありました。そんなときに見ず知らずの人から「子どもが欲しくてもできない人がいるのに、そういう人を傷つけることになるとは思わないのか?」みたいなリプをもらったことがありました。

さすがにそのリプほど直接的なものは稀でしたが、子どもが生まれてからそっと疎遠になった人がいるのもまた事実で。子育ては自分にとってただの日常であり、またツイート内容を振り返ってもそうした人に配慮をしていなかったわけではない。それでもなお、傷つけてしまう…。

人が決断をする、その瞬間からそれは別のなにかを切り捨てることを意味し、そこには少なからず暴力性をはらんでしまう。人生のリアルとはそういうものなだと実感した出来事でした。

人が何かを決断したり行ったりしているとき、こういう他者への配慮が足りないという批判を起こすことはつねに可能だということです。その意味で言うと、言葉は悪いですが、ひとつの決断をデリダ的・レヴィナス的観点から「潰そう」とすることはいつでも任意に可能なんです。

『現代思想入門』千葉雅也著 p53(第一章「デリダ——概念の脱構築」より)

もちろん他者への配慮は必要です。SNS & タイパ2全盛の時代、二項対立の極端に偏った “わかりやすい” 物言いがもてはやされるのもまた事実です。反対意見に対しては「バカは相手にするな」「全員に好かれることは無理だ」と切り捨てがちですが、それはそれで強い違和感を覚えます。

しかしながら、配慮ばかりでは身動きがとれなくなります。受け手としても自分への暴力性があるものを排除しつづけては、世界はどんどん狭くなるし、成長も鈍化していくことでしょう。つまりは、発信する側も受けとる側も、自分とは異質な「他者」へと開かれていることが大事だということ。

「概念の脱構築」として、著者によってまとめられるデリダの思想。それは、思い込みから自由になり、自己を他者へと開いていくために大いに役立ちます。特にこれだけ分断や個人主義が叫ばれ、白黒はっきりしたわかりやすいものばかりが求められる現代、改めて見直されるべき哲学だといえるでしょう。(中高生の道徳の授業などで、二項対立と脱構築を扱えばいいと思うくらいです)


関係性と生成変化の哲学

リゾームとは、〔…〕多方面に広がっていく中心のない関係性のことです。そして重要なのは、リゾームはあちこちに広がっていくと同時に、あちこちで途切れることもある、と言われていることです。それを「非意味的切断」といいます。つまり、すべてがつながり合うと同時に、すべてが無関係でもありうる、と。

『現代思想入門』千葉雅也著 p74 (第二章「ドゥルーズ——存在の脱構築」より)

この本のなかで、もう一つ気になったのがドゥルーズのリゾームについてです。

このブログでもたくさん記事を書いてきましたが、私は大学院でアドラーやデューイの研究をしてきました。彼らの思想に共通するのは、関係的で相互依存的な人間観。ざっくり言うと「人間は社会的な存在であり、つながりあっているよね。だから助けあっていこうよ!」みたいな価値観です。

ただ、そう聞いてもなんだか理想論的すぎるというか、暑苦しい印象を受けなくもありません。最近のアドラー心理学では、そのあたりのバランスをとるため、「課題の分離3」という考え方とセットで売り出されています。

たしかに “つながり” ばかりを言うのではなく、“自分の人生” を生きようと主張することには価値があるでしょう。日本人は特にそうかもしれませんが、人間関係に絡め取られて、自分らしく生きられず苦しんでいる人は少なくありません。

しかし、この「課題の分離」の考え方は、思想的な基盤がないままテクニックに寄ってしまっている部分もあると自分は思います。またそれによって、他者とのつながりをあえて泥臭く言っていくのがアドラーの魅力であったはずなのに、個人主義的な思想・心理学として誤解されてしまう要因にもなっています。(アドラーの元々の思想には、課題の分離やそれに類するものは一切出てきません)

「課題の分離」をさもアドラーが言ったかのように述べているものが結構多いですが、アドラー心理学は本来こんなに個人主義的な思想ではありません。


他者との “つながり” と、 “自分の人生” を自由に生きていくこと。これらの二項対立の極端に寄るのではなく、両者を上手に統合していく必要があるわけです。そして、ドゥルーズのリゾーム——すべてがつながり合うと同時に、すべてが無関係でもありうる——という絶妙な関係性のあり方は、そのヒントになるのではないかと感じました。

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まとめ

人生が変わる哲学。

机上の空論のように思われがちな哲学ですが、実際に生きる上で役立つものだと私自身も感じています。というのも哲学は、社会の矛盾や生きていく上で抱えがちなモヤモヤを、かしこい人たちがじっくりと考え抜き、言語化してくれているものだからです。

今日が人生で一番若い日。哲学を学べば自分の抱えている課題を俯瞰して見れるようになります。不透明な時代を生きていくための見取り図を手に入れたい人は、『現代思想入門』をぜひ読んでみてください。きっと一助となるはずです。

▼ちなみに、先に取り上げた第1〜3章より後の章もとっても面白いですよ!

第1章 デリダ―概念の脱構築
第2章 ドゥルーズ―存在の脱構築
第3章 フーコー―社会の脱構築
第4章 現代思想の源流―ニーチェ、フロイト、マルクス
第5章 精神分析と現代思想―ラカン、ルジャンドル
第6章 現代思想のつくり方
第7章 ポスト・ポスト構造主義
付録 現代思想の読み方

著:千葉雅也
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著者の千葉雅也氏による、こちらの対談動画もとてもオススメです。生きづらさを抱えているあなたに、きっと響くものがあるはず…。

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