「ダンマパダ」の名言にわかりやすく触れてみたい。
「ダンマパダ」って人生にどんな風に役立つの?
「ダンマパダ」は、ブッダの言葉に一番近いと言われている経典。そのダンマパダを、スリランカ上座仏教のスマナサーラ長老が、わかりやすい言葉で現代語訳、さらに解説を加えたのが『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』です。
この記事では、この本から特に心に響いた5つの名言を紹介します。
1怒るといちばん最初に自分が汚染される
2怒りは自分を破壊し他人を破壊する
3生きるということは他の生命を奪うこと
4どんな極悪人でも立ち直る可能性がある
5すべての争いはプライドがあるから起きる
6勝つ人は一人もいない
7怒ろうとするとおばあちゃんの顔が浮かぶ
8欲と怒りで心身が消耗する
9心を具体的にとらえるには
10日常のなかで心を観る
11過去を思い悩むのは不幸になる訓練である
12「わたし」も同じように移ろいゆくもの
13自我をだしたとたん心の成長は止まる
14ありのままの自分を明確に観る
15解決しようとじたばたしない
16今なすべきことに意識を向ける
17不安の消えた状態が悟り
18一旦停止する
19自我は苦しみを生むおおもと
20まず自分をととのえてから
21他人の過失を見ずに自分を観る
22自分が自分にたいしてひどいことをする
23ものに依存しない生き方
24執着が強いと重たい荷車になる
25自分の思うがままになるものはない
26得る道ではなく捨てる道
27一切のかぶりものを取る
28わたしも同様に死ぬのだと観察する
29自分が死ぬということを覚悟する
30こわれなければ創造はない
31「知っている」と思う者が愚か者
32慈悲の心を育てる
33慈しみの心さえあれば
34自分で生んだ苦からは逃れられない
35小さな過ちにこそ気をつける
36心によい癖をつける
37自分が喜び人も喜ぶ
38真の勇者とは
39わたしたちは依存症にかかっている
40依存する心と戦う
41自分を拠り所とする
42実践するだけで問題は解消する
43仏を念ずる
44法を念ずる
45智慧があるとは心になにもないこと
46そのつど、そのつど、気づく
47中道とは超越道である
48千のことばより一つの実行
49けっして失われないもの
50人格の完成をめざす
仏教の名著も “聴き放題”
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『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』名言5つをわかりやすく解説
怒りは自分を破壊し他人を破壊する
怒りには、怒らないことによって勝てる。
原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話(二二三)
悪事には、善い行為で勝てる。
物惜しみには、分かち合うことによって勝てる。
真実によって、虚言の人に勝てる。
ブッダは怒ってはならないと説きます。
怒りには、なにより自分自身の身も心も、そして、周囲の人の穏やかな心をも破壊してしまう力があります。
いくら自分が正しくて相手が間違っていても、けっして人を怒らせてはならない。
もしくは、相手が自分に怒ってきても、その怒りに乗ってはいけないのです。
だから、なにを言われても、なにをされても、自分の心に怒りの火を点けないことが大切。
人からなにか攻撃されても、「ああ、この人はわたしにかなり怒っているなあ」と、ただそう受け取るだけでいいのです。
そうすれば、それ以上はなにも起こりません。
勝つ人はひとりもいない
勝利者が勝ち取るものは敵意である。
敗れた人は苦しんで萎縮する。
心穏やかな人は、勝敗を捨てて安らかに過ごす。
(二〇一)
戦っても、勝つ人は一人もいません。
というのは、負けた人は負けてくやしい思いをするし、勝った人も、負けた人に怨まれ、さらに敵がふえるからです。
けれども日本の社会は、「勝ち組」「負け組」という言葉がそこらで飛び交うことが象徴的なように、日常の暮らしを戦いの場にしています。
ただでさえ、生きることは苦しいことだらけなのに…
そんな余計なことまでして、苦しみを積み上げなくてもいいのにね。
仏教には「戦え、頑張れ」という教えはありません。そうではなく「今ここで戦うよりも、もっとすぐれた道はないか」という「超越した道」を教えます。
つまり、戦いの泥沼に足を入れずに、戦いを「乗り越える」ということ。
ブッダは、
聖者は、勝ちも負けも乗り越えて平安に住む。
と説きます。
つまり、だれかに勝つ必要もないし、だれかに負ける必要もないということです。
こう聞くと、
それは立派なことだけど、つまり一切の競争をなくしたほうがいいということ?
と疑問が浮かぶかもしれません。
これに対しては、競争を一切無くした方がいいというわけではありません。
ただ、勝ち負けを争うのではなく、「自分の能力を発揮する」ことに努めるというように考え方を変える。
例えば、運動会の競走でいえば、勝ち負けを競うのではなく、それぞれが悔いなく自分の力をだしきる。
つまり、1位になった人も、最下位の人も、勝った/負けたではなく、自分の能力を発揮したと考えるのです。
自分の能力をただ発揮することを考えることによって、自分に適した道が開かれていくでしょう。
自我は苦しみを生むおおもと
「一切の事物は我にあらず」(諸法無我)と明らかな智慧をもって観るとき、人は苦しみから遠ざかり離れる。
これが清浄になる道である。
(二七九)
仏教では「わたしが〜した」という「自我」こそが、苦しみを生むおおもとになると説かれます。
例えば「彼がわたしに挨拶をしなかった」という場合、それは本来たんに「挨拶をしなかった」というだけのこと。
ところが、「わたしはかれの上司だ。だからかれはわたしに挨拶をするべきなのに、挨拶しなかった。けしからん」となると、そこに苦しみが生じます。
「わたし」という思いが、事態を深刻にし、争いをつくってしまっているんだね。
安らぎを得る道は、この「わたし」という思いを捨てることにあります。
外からの情報が入る窓口は、眼・耳・鼻・舌・身・意と六つあり、目には色、耳には音、鼻には香り、舌には味、体には熱さとか硬さなどの感触、頭にはいろいろな概念が入ってきます。
ただこのとき、本来情報はたんなる情報に過ぎません。
しかし、情報に触れたときに、わたしたちはそこにさまざな価値判断を入れてしまうのです。
たとえば、目の前にゴキブリが現れたとします。そのときやにゴキブリの黒っぽい見た目や、“カサコソ”という音などの情報が「眼」や「耳」を通して入ってくるでしょう。
多くの人はそれをみて反射的に「恐怖」を感じるでしょう。けれども、よく考えると、ゴキブリに関する情報そのものには何の価値も本来ないわけです。現に、ゴキブリ見ても何も思わない人もいますよね?
つまり、情報を価値づけているのはすべて「わたし」の働きだということです。
こうした情報に触れた時に自動的に価値判断を入れてしまうのは、煩悩の働きによるものです。
そして、煩悩の働きを断つには、外からの情報を得たとき、「ただ音だけ。ただ色が見えただけ」と観ていく。
そこに「わたし」というものを入れないのです。
それが、煩悩の働きを断ち、明らかな智慧を生むことになるといいます。
ブッダは、「自分の心をよく観察する」という心の訓練法を教えました。(※マインドフルネスやヴィパッサナーと呼ばれる瞑想法はこれのこと)
自分の心に浮かぶことをただただよく観察する。
観察することで、自分の心の悪いところ、性格の悪いところ、心の奥底に隠れていた悩みや苦しみは徐々に消えていきます。
心というものは、外から強制的に縛りつけなくても、自分のありように気がついたら瞬時によくなるものなのです。
「ただ観察するだけで、苦しみが消える…」
そんなことあるか?と思われるかもしれませんが、不思議なことに実際あるんです。
私自身は、ヴィパッサナー瞑想の10日間のキャンプに2回参加しました。
そこでも、ただ自分の身体感覚を「ただ観察する(Just Observe)」するだけ。
そうすることで今まで自動反応していた、情報と反応の連鎖を冷静に断ち切る。
それだけで、悩みや苦しみがなくなっていくのです。
自分が死ぬということを覚悟する
人びとは、われわれは死すべきものだと気づいていない。
このことわりに、他の人は気づいていない。
このことわりを知る人があれば、争いは鎮まる。
(六)
この世で確かなものはたった一つ、それは自分が「死ぬ」ということ。
ほかのものは、すべてが不確かで、変わりゆくものなのです。
そして「自分が死ぬ」ということを覚悟したら、無意味な争いなどしなくなるとブッダは説きます。
だれもが結局は死ぬのですから、そんなにびくびくしなくても、そんなに緊張してストレスを感じなくてもいい。
それぐらい楽な気持ちでやれば、ものごとはうまくいくのです。
世の中生きていると、いろんな嫌なことが目につきます。
けれども、著者のスマナサーラ長老自身、いろんなモヤモヤがあっても、「自分はいつか死ぬのだ」と思った瞬間に、心の重荷が落ちてしまって、とても穏やかな気持ちになったそうです。
「人間は、確実に死ぬ」という認識が、すばらしい生き方を与えてくれるといいます。
そしてそれに気付くのは死ぬ直前では遅すぎる。
わたしたちは瀕死の病にかかる前に、このことを心に叩き込んでおかないといけないのです。
この話を読んで「お金」はその典型だなぁと感じました。
「お金」のことで私たちは心配が絶えないですし、ちょっと損をしたらメソメソ悔やんだり、過度な節約で生活を犠牲にしたり…
けれども、私たちはどうせ死ぬんだから、死んだらお金なんてあの世に持っていけません。
だとしたときに「いずれは死ぬんだから」という発想があれば、よい意味でお金への執着がなくなり、自分の人生が豊かになるように、上手に使うこともできると思います。
個人的には、例えば旅行とかは豊かなお金の使い方だし、どうせ死ぬんだから、生きている内にいろんなところに行ってみたいと思います。
中道とは超越道である
あらゆる道のなかで八正道がもっともすぐれている。
あらゆる真理のなかで四諦がもっともすぐれている。
あらゆる徳のうちでは離欲がもっともすぐれている。
人びとのなかではブッダがもっともすぐれている。
(二七三)
ブッダがすすめる生き方が「八正道」です。それは「中道」であるとも呼ばれます。
注意したいのは、「中道」とは「極端の真ん中」とか「均衡を取る」ことではないということ。
それは「超越道」ともいうべきものだといいます。
中道の生き方とは「判断をしない生き方」「決めつけない生き方」です。
そして「中道とは八正道を歩むことだ。幸せに至る道は、この八正道しかない」と仏教では説かれます。
私たちは以下の八正道、八つの実践によって、あらゆる偏見を乗り越え、すべての事象を客観的に観ることができるのです。
ひえ〜!8つもあるの〜!
大変!
そう思う人のために、具体的には「正語」から始めるとよいと、著者は述べているよ。
わかるところから始めて、1つでもしっかり実践できれば、すべてに通じるんだって。
まとめ
ブッダ自身の言葉に一番近い経典と言われている「ダンマパダ」の現代語訳から、特に心に響いた名言を5つピックアップしました。
私自身は仏教に始めて触れてのは10年以上も前のこと。
そこから様々な経験を経て、久しぶりにダンマパダを読み直しましたが、物事の真理をつき、生きるという苦しみを和らげてくれる教えだと、改めて強く実感しました。
今回紹介した本には全部で50の言葉が載っており、まだまだ紹介していない言葉がたくさんあります。
この記事を読んで、ブッダの言葉をもっと読んでみたいと思った人は、手にとってみられてはいかがでしょうか?
きっと、あなたの心がスッと軽くなっていくことを実感するでしょう…。