執筆論文紹介「J.デューイとA.アドラーの比較思想研究 -教育における協働の意義を求めて-」【ヒューマン・ギルド寄稿】

アドラー心理学

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

ご縁あって、アドラー心理学研修・講座を行う ヒューマン・ギルド のニュースレター 2024年9月号(457号)に寄稿しました。紹介してくださった 三輪克子先生、貴重な機会をくださった 岩井先生、ありがとうございました。
(以下はその寄稿文を、ブログ形式に修正したものです)

オーディブル(テキスト)
“聴く読書" Audible(オーディブル)30日間無料(1,500円→0円)
✔︎ 目を使わないので、疲れない(通勤中にオススメ)
✔︎ 運動や家事の時間が読書時間に早変わり!
✔︎ 複数端末での同時再生(1契約で家族利用)OK
今日が人生で一番若い日。お得なこの機会をお見逃しなく。
»Audible をいますぐ30日間無料体験

執筆論文紹介「J.デューイとA.アドラーの比較思想研究 -教育における協働の意義を求めて-

“個” と “協働” の両立なんてできるの?

2019年から2021年にかけて、私は社会人大学院生として、ホリスティック教育の専門家である吉田敦彦教授に師事し、デューイとアドラーの比較思想研究に取り組みました。

この研究は、教育現場で感じた大きな疑問から始まりました。「個を伸ばす」「個に応じた指導」という言葉が強調される一方で、「協働させなさい」とも言われる。

一見すると、個性重視と集団協働は矛盾しているように感じられます。個性を伸ばすことに力を入れれば他者との協調が難しくなり、協働を重視しすぎれば個性が抑圧される可能性もあります。この相反する要請にどう応えればいいのか。

さらに困ったことに、これらの課題に対する教育界の実践や “物語” が、あまり魅力的に感じられませんでした。

「社会にはいろんな人がいて折り合いをつけねばならない」「自分の自由のために他者の自由も承認すべき」といった、どちらかというと消極的に協働を捉える言説。実際、私も子どもたちにこのような話をしましたが、彼らの心に響く力強さは感じられませんでした。

「もっと心に響く、協働への強い動機づけとなる物語はないのだろうか?」

この問いが私を、デューイとアドラーの思想へと導きました。20世紀前半、社会の大きな変動期に生きた彼らは、協働の意義が薄れゆく時代にあって、逆にその重要性を力強く語り続けた思想家でした。

私は彼らの著作に没頭し、デューイの説く「民主主義」と、アドラーの唱える「共同体感覚」という核心的な概念を、「協働」という視点から丹念に読み解いていきました。

デューイとの比較から見えたアドラーならではの魅力

読み進めるうち、デューイとアドラーの思想が予想以上に近く、強い親和性を持っていることに驚かされました。しかし同時に、アドラー独自の興味深い特徴も見出しました。特に印象的だった2点を以下に紹介します。

① ライフタスク論
仕事、交友、愛という3つのタスクを通じて、協働の必要性を説いたアドラー。これは単なる社会適応ではなく、生きること自体が協働であるという、より根源的な視点を提供してくれます。

デューイが民主的問題解決のための協働を強調したのに対し、アドラーは生存そのものに直結する協働の意義を語りました。例えば、「愛のタスク」は人類の存続という壮大なテーマと結びつけられます。この視点は、現代の子どもたちに「なぜ協働するのか」をより深いレベルで考えさせる契機となるでしょう。

② 物語のスケールの大きさ
スマッツのホーリズムに影響を受け、宇宙の進化まで視野に入れた協働関係を語ったアドラー。この超越的な視点は、時に人生に迷い、意味を見失った人々の心に響く力を持っています。

なぜなら、個人の存在を宇宙全体の進化の一部として位置づけることで、日常の些細な悩みを超えた、より大きな人生の意味を見出せる可能性を示唆するからです。自分の人生が宇宙の壮大な物語の一部であるという認識は、個人に新たな目的意識と責任感を与え、生きる勇気を湧き立たせる力があるのです。

個の成長には協働が不可欠である

さて、ここで最初の疑問に戻りましょう。個と協働、この一見矛盾する要素をどう両立させるのか。

「個の成長には協働が不可欠である」—これがデューイとアドラーの思想から導き出せるシンプルな答えです。

特にデューイは、この観点を極めてポジティブに捉えています。協働の中にこそ、人の能力や個性が最も豊かに引き出される可能性があると考えたのです。確かに、時に集団は個人を抑圧しますが、デューイはそこにも成長の機会を見出します。適度な葛藤や困難こそが、個人を成長へと導く原動力となりうるのです。

一方で、アドラーは、葛藤の中で挫折してしまう人々にも目を向けました。彼が「劣等コンプレックス」と呼ぶ心理状態は、まさにこの葛藤の中で生まれます。アドラーの強みは、この挫折した個人に寄り添い、勇気づけ、再び社会参加への道を開くアプローチにあります。

そうはいっても、協働が苦しいときはどうすればいいか?

ここで重要な点があります。デューイもアドラーも、すべての集団や環境が健全であるとは考えていません。時に、私たちは間違った方向に進む集団や、過度に抑圧的な環境に身を置くことがあります。この現実に対し、彼らは2つの重要な視点を提供してくれます。

① 個人は環境を変える主体
1つは、個人が環境を変える主体となりうるという視点です。私たちは単に環境に順応するだけの存在ではなく、環境を作り変えていく力を持っています。そして、そうした個人と環境の葛藤こそが、社会をより良い方向に変える原動力となりうるのです。

② より大きな視野で自分の立ち位置を捉え直す
もう1つは、より大きな視野で自分の立ち位置を捉え直す視点です。デューイは、既存の集団に馴染めない場合、自ら新たなコミュニティを築いていいと励まします。

一方アドラーは、個人が所属する共同体を家族や地域社会から人類全体、さらには宇宙にまで拡大して捉えることで、より大きな共同体の中に所属感を見出す可能性を示しています。さらに、彼らは私たちの人生を、より大きな時間軸、より壮大な物語の中に位置づけることで、目の前の困難を超えた意味を見出す道筋を示しています。

つまり、デューイとアドラーは、個人の協働を単に奨励するだけでなく、その過程で生じる葛藤や苦しみにも深い理解を示しているのです。彼らの思想は、協働の中で個性を伸ばすという理想を掲げつつ、同時に、その道のりの困難さにも寄り添おうとしています。

デューイとアドラーの洞察は、現代の教育や社会が直面する「個と協働」のジレンマに、今なお光を当てると私は感じました。

個性を尊重しつつ協働を促す—それは単純な二者択一ではなく、両者の深い統合を目指す挑戦的な道のりに他なりません。その過程には必ず困難が伴うことでしょう。しかし、その困難こそが、個人の成長と社会の発展の源泉となりうるのです。

【関連リンク】HUMAN GUILD(ヒューマン・ギルド)