『ニーチェ みずからの時代と闘う者』ニーチェの胸を借りたシュタイナーから「自由に生きろ!」と励まされる【書評】

読書

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「シュタイナーの書いたニーチェ論?気になる!」
「初心者〜中級者におすすめのニーチェ本を知りたい」


今回紹介する『ニーチェ みずからの時代と闘う者』は、そんなあなたにおすすめ。

シュタイナーとニーチェ。ぶっ飛んだ2人の思想家のかけ合わせから、どれだけぶっ飛んだ本なのだろう?と思って読んでみたら…意外や意外、めちゃくちゃスタンダードなニーチェ解説本でした。

1世紀以上前を生きた偉人から、“みずからの時代と闘う” 現代の私たちへ。「もっと自由に生きろ!」と、励ましのメッセージが聞こえてくるようです。

著:ルドルフ・シュタイナー, 翻訳:高橋 巖
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  • 書籍名:ニーチェ みずからの時代と闘う者
  • 著者:ルドルフ・シュタイナー  (著), 高橋 巖 (翻訳)
  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店
  • 発売日 ‏ : ‎ 2016/12/17
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 224ページ

シュタイナーは、時代に対して実存的、主体的に生きることによって、同時代人でもある孤高の哲学者ニーチェの思想「超人」に出会う。本書は、他の多くの論考に先駆けて、すでに19世紀末に発表された本格的なニーチェ論であり、シュタイナー思想の原点ともいうべき重要作である。

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『ニーチェ みずからの時代と闘う者』を読み、思考せよ。

【書を読む】要約・ポイント

本のなかで印象に残った箇所を5つ引用します。難しいと感じる人は、要約・ポイントだけでもお読みいただき、本書のアイデアにぜひ触れてみてください。

要約・ポイント①
弱い人は行動規範を外部に求め、相手の権力に従う。強い人は自分の思考と行動を、自分自身の本質によって決める

ニーチェの人格の中には、命令を下し、支配的となる存在になるように、人を促す本能が働いている。力を顕示するものは、すべて彼の気に入り、弱みをうかがわせるものは、すべて彼の気にいらない。自分の力を高めてくれる生活状況にいるとき、彼は充実感をもつ。活動の障害となり、妨害となるものを好むのは、それを克服する際に、自分の力を意識できるからである。彼はもっとも困難な道を歩もうとする。〔…〕
どんな仕方であろうと、相手の権力に従う人の中に、ニーチェは弱さを感じとる。〔…〕ニーチェは、考えるときも行うときも、理性の「永遠なる鉄の」法則に自己を従わせている人を、弱いと感じる。人格を円満に発達させているなら、その行いをどんな道徳法則にも従わせようとはしない。もっぱら自分自身の衝動に従って生きようとする。思考し、行動すべきときの法則や規則を求める瞬間に、人はすでに弱さをあらわしている。強い人は自分の思考と行動のやり方を自分自身の本質によって決める。

『ニーチェ みずからの時代と闘う者』ルドルフ・シュタイナー著 p33

要約・ポイント
人生にとってプラスであるとあなた自身が判断するのであれば、何でも好きにやればいい

ニーチェは、自由なる生活本能がよしとするような思考形式、判断形式を、無条件で承認する。人生が選びとった観点なら、どんなに論理的な破綻を指摘されようとも、意に介することはない。この点、ニーチェの思考は、自由であり、しっかりしている。ある主張が「客観的」に正しいか否か、その主張が人間の認識能力の限界を超えているかいないか、という議論に悩まされることはない。判断が人生にとって価値があるなら、ニーチェは、その判断が客観的であるか、妥当性があるか、もはや問おうとしない。〔…〕
判断の価値を、人生にとってプラスかマイナスかで決めるのだから、それを決めるのは、もちろん、当人の個人的な生命衝動であり、生命本能である。自分の生命本能に従って、一定の判断が価値あるものであるかどうかを、決めるだけでいいのである。ニーチェの主張はすべて、このことを言うためにある。

『ニーチェ みずからの時代と闘う者』ルドルフ・シュタイナー著 p40-41

要約・ポイント
超人とは、自分の本性のままに生きる “ずば抜けた個性” である

自分の本性のままに生き、人生の目標を自分の存在にふさわしい生活をいとなむことの中に見ることのできる、ずばぬけた個性を、ニーチェは「超人」と名づけた。超人は、自分の外に存する目的に仕えるために人生がある、と信じる人間の正反対である。
超人、つまり自然に応じた生き方をする人間について、教えをたれるのは、ツァラトゥストラである。〔…〕ツァラトゥストラは、人々がどうあるべきかについて、いちいち指図しようなどとは思っていない。ただ、一人ひとりがみずからに立ちかえるように求め、「あなたをあなた自身に委ねなさい。あなただけに従いなさい。あなた自身を徳や知恵や認識の上に置きなさい」、とだけ言いたいのだ。ツァラトゥストラは、みずからを求める者に語る。共通の目標を求める大衆に対してではなく、彼同様、わが道を行くものに対して、彼の言葉は向けられている。
ツァラトゥストラは、次のように語る。「私は自分を求めた。私はあなたがたに教える通りの人間だ。行って、あなたがた自身を求めなさい。そうすれば、超人になれる」。

『ニーチェ みずからの時代と闘う者』ルドルフ・シュタイナー著 p52~53,56

要約・ポイント
人間は不平等である。したがってその権利も義務も、不平等でなければならない(とニーチェはいう)

ニーチェは人間の行為の中に本能の現れだけを見ている。そして本能は、人によってさまざまであるから、人の行為もさまざまである。従ってニーチェは、万人のための平等な権利と平等な義務という民主主義の原則に断固として敵対する。人間は不平等である。従ってその権利も義務も、不平等でなければならない。世界史の自然な歩みは、常に強い人と弱い人、創造する者と不毛な物を示しており、強い人は、弱い人に目標を与える役割を常に担っている。いや、それだけではない。強い人は弱い人を、目的のための手段として、つまり奴隷として使役する。〔…〕ニーチェは、彼が一切の生命原則であると見做している強い人によって弱い人が克服され、その結果どうしても奴隷が生じなければならなくなる、と考えている。
克服される人が克服する人に反抗するのも、当然である。この反抗を行動で表現することができないときにも、少なくとも感情の中で表現しようとする。そしてこの感情の表現が復讐である。〔…〕ニーチェはこの復讐の現れこそが、近代の社会民主主義運動である、と見ている。この運動が勝利したなら、その結果は、出来そこないや敗残者たちがより優れた人たちをこまらせることであろう。ニーチェはその正反対を望み、強力で独断的な人格を育てることをよしとする。すべてを平等にし、卓越した個性を平均的な一般人の海の中に埋没させてしまうような試みを、彼は憎んでいる。

『ニーチェ みずからの時代と闘う者』ルドルフ・シュタイナー著 p105~106

要約・ポイント
ニーチェはすべてを「本能」と一括りにするが、食欲や性欲のような無意識的・感覚的な本能と、道徳衝動のような意識的・思想的な本能とは区別すべきではないか

ニーチェは、著作の中でも、本能だけを自由な精神の衝動であるとしている。〔…〕動物の中にある食欲や自己保存の衝動も、認識衝動、道徳衝動、芸術衝動などの高次の衝動も、同じように本能と呼んでいる。たしかにこれらすべての衝動は、同じ基本力のあらわれであるが、しかしそれらは、同じ力のさまざまな発展段階を示している。
例えば道徳衝動は、本能の特別の段階を示している。それが感覚的な本能の高次形態に過ぎないと認めるにしても、人間における道徳衝動は、特別の仕方で現れている。すなわち感覚的な本能には直接還元できないような、本能の高次形態であるとしか言えないような行為を生じさせている。人間は、 自分の感覚的な衝動に由来するのではなく、もっぱら意識的な思考に由来する行動をとることができる。人間は個別的な目的に従うが、しかしその目的に意識して従う。無意識に生じ、後になって意識されるような本能に従うのと、初めから意識して生み出した思想に従うのとでは、そこに大きな違いがある。〔…〕
真に自由な人格は、健全な発達を遂げた個的、感覚的な衝動生活だけでなく、生きるための思想衝動を持っていなければならない。行為を遂行するための思想をも生み出すことのできる人こそが完全に自由なのである。
私は『自由の哲学』の中で、 純思想的な衝動を作り出す能力を「道徳的想像力」と呼んだ。この道徳的想像力を持つ人だけが、本当に自由なのである。〔…〕自分で自分の道徳目標を創る人だけが、自由に行動するのである。
ニーチェの論述の中には、この道徳的想像力という概念が欠けている。彼の思想を最後まで考えていくと、どうしてもこの概念が必要だと思わざるをえなくなる。この概念をニーチェの世界観に組み込むことは、無条件に必要なことなのである。そうしないと、ニーチェの世界観は、繰り返して同じ 非難を受けざるをえないであろう。なぜなら、デュオニュソス的人間は、従来の立場や「彼岸の意志」の奴隷ではないが、しかし自分自身の本能の奴隷である、という非難をまぬがれえないであろうから。

『ニーチェ みずからの時代と闘う者』ルドルフ・シュタイナー著 p117~120

【思考する】書評・感想

ニーチェからシュタイナーへと通う、一本の運命の赤い糸

ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)

この本の著者であるルドルフ・シュタイナーは、オーストリアやドイツで活動した神秘思想家、哲学者、教育者です。「シュタイナー教育」の創始者としてご存知の方もいるかもしれません。一方で “神秘思想家” という肩書きからわかるように、「超感覚の世界が存在する!」と主張する彼の思想は、オカルティックでなんだか怪しい…と嫌厭けんえんされることも少なくありません。

『ニーチェ みずからの時代と闘う者』は、彼が神秘主義に傾倒する以前の著作です。したがって、シュタイナー独自の用語はほぼ使われていませんし、シュタイナーが書いたという事実は無視して、ニーチェ解説書の1つとして読んでも、十分価値ある本だと感じました。

ただ、この本を本当に味わうためには「シュタイナーがなぜこの本を書いたのか?」という視点を、ぜひとも持ってみたいところ。

というのも、

  • シュタイナー:超感覚的世界(彼岸の世界)の実在を認める立場
  • ニーチェ:彼岸の世界の存在を否定する立場

という点で、彼らの思想は180度真逆を向いており、相容れない溝があるように思えるからです。

しかしながらシュタイナーは、本書のなかでニーチェをひたすらに褒めちぎります。この事実は興味深くもあり、同時に「こんなに立場がちがうのに、なぜこれほどニーチェに共感しているのだろう?」という、疑問を生み出します。

シュタイナーのフィルターを通して、ニーチェはどのように魅力的だったのか?この謎を解き明かす上で、訳者の高橋 巖氏の解説にある一節が助けとなりました。

思想が必要な理由は、たったひとつしかない。物質界以外に霊界があるのか、ないのか、というような「世界観」の相違を問題にするのではなく、ただひとつ、この世を生きることの意味と価値を確認するためである。というか、このよう生きるときに、思想の側からどのようなはげまし、力づけを体験することができるかどうかである。このことを私は本書『ニーチェ みずからの時代と闘う者』から学んだと思っている。この一点だけでも、ニーチェの思想からシュタイナーの思想へ、一本の太い、運命の赤い糸が通っていると思う。

『ニーチェ みずからの時代と闘う者』ルドルフ・シュタイナー著 p217 (高橋巖氏の解説より)

シュタイナーとニーチェは「霊界の有無」という世界観において、立場はまったく異なります。けれども、この世に生きることの意味や価値を問いかけ、私たちを力づけ、はげまそうとする…。ニーチェの熱いスピリットを、シュタイナーは確実に受けとり、引き継いだということなのでしょう。

そのような視点から見ると、社会通念にとらわれることなく、自由に自分らしく生きることを強く訴えかける点で、彼らは共通していることがわかります。「自由への教育」と呼ばれるシュタイナー教育の理念には、次のように示されています。

自分の欲や利害を超え、本当に大切なこと、自分の成すべきことを選択し、実行していける人間をシュタイナーは『真に自由な人間』と呼びました。

京田辺シュタイナー学校 HP(https://ktsg.jp/about/jiyu/)より

シュタイナー=ニーチェによると「超人」とは、自分の本性のままに生きる “ずば抜けた個性1” です。そして、シュタイナーの説く “自由な人間” の在り方は、ニーチェの超人思想の影響を色濃く受けていそうだと、感じていただけるのではないでしょうか。

実際に『ニーチェ みずからの時代と闘う者』では、ニーチェ思想の中でも「超人」について、特に多くのページが割かれています。若かりし日のシュタイナーもまた、現代の私たちと同じように、みずからの時代と格闘していたのでしょう。そのような折に、ニーチェの「超人」と運命的な出会いを果たし、大きく勇気づけられたのだと想像します。

本能のままにやりたいようにやるのは “自由” なのか?

すでに述べたように『ニーチェ みずからの時代と闘う者』のなかでシュタイナーは、ニーチェ思想をほぼ全面的に肯定しています。しかしながら、ただ1点「ニーチェは道徳的想像力が欠けている2」と、彼が批判していることが印象的です。

ニーチェはいわゆる “道徳的” であるかどうかなど気にすることなく「たとえそれが食欲や性欲のような “低次の” 本能の赴くままであっても、やりたいようにやりなさい」というスタンスなのだと思います。シュタイナーは、それだと “本能の奴隷” にすぎないのであり、自由とは呼べないと批判します。シュタイナーによると、“真に自由な人格” とは、自らの思想・哲学をもち、それに従って行動できる人なのです。

いやはや、実に興味深いと思いませんか?シュタイナーの指摘は納得感があるし、自分自身もニーチェを学ぶ中ですごく疑問をもったポイントでもあります。ただ少し思うのは、いわゆる “道徳的” な価値観や、発達段階的な論点をニーチェ思想に安易に組み込んでしまうと、ニーチェはニーチェでなくなってしまうのではないかということです。

ニーチェ学徒の必読書『これがニーチェだ』(永井 均著)の序文に、次の1節があります。

私は、これまでニーチェについて書かれた多くの書物に不満がある。それらはたいてい、ニーチェという人物とその思想を、何らかの意味で世の中にとって意味のあるものとして、世の中の役に立つものとして、描き出している。私には、そのことがニーチェの真価を骨抜きにしているように思える。ニーチェは世の中の、とりわけそれをよくするための、役に立たない。どんな意味でも役に立たない。だから、そこにはいかなる世の中的な価値もない。そのことが彼を、稀に見るほど偉大な哲学者にしている、と私は思う。

『これがニーチェだ』永井 均 著 p7

永井氏がここで述べていることを自分は腹から理解できているとは思えません。がしかし、ニーチェは道徳的でないからこそニーチェであり、究極的には殺人鬼が己のなかにある殺人衝動のままに人を殺めることすら肯定しかねない危うさにこそ、彼の思想の真髄が潜んでいるのではないかと思わずにはいられません…。

まとめ

時代と闘うあなたへ。ニーチェの胸を借りたシュタイナーから「自由に生きろ!」と励まされる1冊。

社会通念との格闘を強いられるのは、いつの時代も同じなのだと、この本を読んで実感させられました。

若かりし頃のシュタイナーの熱量は、書籍に直接当たらないと伝わらないと思います。この記事を読んで気になった方はぜひ手に取ってみられてください。(ページ数も少ないし、この手の思想書の中ではそれなりに読みやすい本だと思います)

【参考文献】
『ニーチェ みずからの時代と闘う者』ルドルフ・シュタイナー著/岩波文庫
『これがニーチェだ』永井 均著/講談社
『シュタイナーとニーチェ-ニーチェ論に潜在するゲーテ的自然観-』井藤 元著/京都大学大学院教育学研究科紀要 第57号 2011

著:ルドルフ・シュタイナー, 翻訳:高橋 巖
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第1章 性格(知性と本能;生きることに価値があるのか;生きる力―創造力と権力 ほか)
第2章 超人(大いなる軽蔑;内からの呼び声;二つの本能―蛇と鷲 ほか)
第3章 ニーチェ思想の展開(マクス・シュティルナー;ショーペンハウアー;ディオニュソス的芸術 ほか)
講義 フリードリヒ・ニーチェ