【アドラー心理学】共同体感覚をわかりやすく徹底解説

アドラー心理学

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「共同体感覚」ってよくわからないけど、わかりやすく、けど正確に知りたい!
「共同体感覚」って自分の人生にどう生きるの?

そんなあなたのために…
アドラー研究者が「共同体感覚」を他サイトよりも、わかりやすく&くわしく解説。
この記事を読めば、専門家レベルで「共同体感覚」を知ったといってもOKです。

この記事のいちばんのポイントは?

共同体感覚は、アドラー心理学における重要概念・価値観で、「他とのつながりの感覚、つながっている他へと向けられる関心」のこと

この記事はつぎの書籍を参照し、大学院でホリスティック教育、哲学を専攻してきた執筆者によって書かれています。
・『アドラーの生涯』(E・ホフマン著/金子書房)
・『生きる意味を求めて』(A・アドラー著/アルテ)
・『人生の意味の心理学』(A・アドラー著/アルテ)
・『人間知の心理学』(A・アドラー著/アルテ)
『アドラーを読むー共同体感覚の諸相』 (岸見一郎著/アルテ)  など

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「共同体感覚」とは

共同体感覚とは

共同体感覚(英:social interest, 独:Gemeinschaftsgefühl)は、アドラー心理学の重要概念・価値観で、個人によって獲得される「他とのつながりの感覚、つながっている他へと向けられる関心1を意味します。

他とのつながりの感覚

まず、「共同体感覚」とは「まわりの人と結びついている感覚2」であるとアドラーは説明します。

このことは、彼が「共同体感覚」の意味として用いたドイツ語、“Mitmenschlichkeit3”(ミットメンシュリッヒカイト)からも確認できます。

“Mitmenschlichkeit”の語源は、“①mit=共に”、“②menschen=(複数の)人間”、“③-lich=~的な”、“④keit=~こと”に分けることができます。

「共同体感覚」の意味で用いられた“Mitmenschlichkeit”

①mit=共に
②menschen=人間(mensch)の複数形
③-lich=〜的な
④keit=〜こと(名詞化するのに使う言葉)

①〜④を足し合わせると…
→”Mitmenschlichkeit”(人と人とが共にあること)
=「共同体感覚」


つまり、「共同体感覚(Mitmenschlichkeit)」には「人と人とが共にあること」という意味があるとわかるのです。

次のアドラーの手記の一節から、「人と人とが共にあること」とはどういうことか、伝わってくるでしょう。

アドラー
アドラー

思い出す限り、私はいつも友人や仲間に囲まれていた。だいたいにおいて私は友だちに大いに好かれた。このような友達は途切れることなく次々にできた。私が人との協力が必要であることを理解するようになったのは、おそらく他の人と結びついているという、この感覚によるものだった。これがのちに個人心理学の鍵となった主題である。

『アドラーの生涯』E・ホフマン著 岸見一郎訳 p10

「なぜ人々はつながっているのか?」その根拠となるのが「ライフタスク」です。私たちはライフタスクでつながりあっていると、アドラーは考えます。

つながっている他へと向けられる関心

次に「共同体感覚」とは、「友情、仲間との関係の問題、およびそれにともなう誠実、信頼、協力傾向、さらに国家、民族、人類への関心4であると説明されます。

つまり、「共同体感覚」には、他者と結びついているという「感覚」のみならず、つながっている他者へと向けられる「関心」の意味があるのです。


実際に、アドラーは著書の中で、自分自身にしか関心のない人たちに反対しながら、他者へと関心を向けることがいかに大切かを伝えます。

そして、この文脈で彼は「他の人の目で見、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じる5というフレーズをくり返し用います。

すなわち、他者への関心とは、自分中心の視点から脱却だっきゃくし、他者視点を獲得しようとする、共感的な態度を意味するのです。


また、アドラーは「共同体感覚」の英訳として“social interest(社会的関心)”を好んで用いました。

『嫌われる勇気』でおなじみの、アドラー研究者の岸見一郎氏はこの訳語から、「他者への関心が共同体感覚である6」と結論づけています。

“social interest”とあえて訳された「共同体感覚」には、つながりの「感覚(sense, feeling)」だけではなく、外へと向けられた「関心(interest)」のベクトルがある。

「共同体感覚」は身近な他者から始まり、宇宙へと広がる

他とのつながりの感覚であり、他へと向けられる関心である「共同体感覚」。では、このとき「他」とはいったい何を指すのでしょうか?

アドラーによると「共同体感覚」は、「先天的なものではないが、意識的に開発されなければならない生得的な潜在能力7」です。

それは生まれたその日の母親との関係から始まり8、やがて父親やきょうだいなど他の家族関係へと広がっていきます。

さらには「良好な状態の時には、家族だけではなく、一族、国家、全人類にまで拡大」し、この限界を超え、「動物、植物や無生物まで、ついには、宇宙にまで広がる9ものでもあるのです。

つまり、「共同体感覚」は身近な他者から始まりますが、やがて個人が所属する集団の境界を超え、自分とは一見関係のない他者・他集団へとひろがっていきます。


↓宇宙へと広がるつながりを、こんなものだとイメージしてみましょう。

アドラーの考える全体性やつながりのイメージ。
出典:https://torontocreatives.com/graphic-design/mapping-the-internet/


こうした無数のつながりの中に1人1人の個人がいます。

つながり先は人間だけでなく、他の生物、無生物、過去や未来の人類までをも含みます。

たとえば、今のあなたの身体を構成しているもの…

あなたがもし肉や魚を食べるのであれば、あなたの血肉となるために犠牲となった生き物が確実にいるわけですよね。

そしてあなたが口にする1つ1つの食べ物は、生産者さん、運送を行う人、加工・販売・調理する人など、たくさんの人たちの手を渡ってきたわけです。

また、あなたはなぜ存在するのか?

確実にいえるのは、先祖が命をつないでくれたからということ。

そして、あなた自身もまた未来へと命をつなぐ可能性もあります。

こう考えると、実は無数のつながり(関係性)の中で、自分という存在があると気づくでしょう。

つながりの中に自分がある

そう感じ、つながり先の他者へと思いを馳せることが「共同体感覚」なのです。

「共同体感覚」と協力・貢献

「共同体感覚」はつながりの感覚であり、他者への関心であることを確認しました。

さらにアドラーは、

共同体感覚を協力と名づけてもいい10

共同体感覚を発達させ、練習することで貢献に習熟する11

などと、「共同体感覚」と「協力・貢献」とをセットで伝えています。

つまり、個人の内面に育まれる「共同体感覚」は、協力・貢献と表裏一体となり、絶えず社会に対して実現されるべきものなのです。


今日こんにちわれわれのまわりに残っているものもすべて、「人間の生活に貢献したものだけ」であるとアドラーはいいます。

アドラー
アドラー

祖先の人生経験の果実は、伝統、哲学、科学、芸術、そして、われわれ人間の状況に取り組むための技術の中に、われわれに伝えられている。これらのものはすべて人間の幸福に貢献した人からわれわれに受け継がれたものである。

『人生の意味の心理学(上)』A・アドラー著 岸見一郎訳 p.17

つまり、「共同体感覚」が貢献・協力として実現された、その積み重ねの結果として今があるとアドラーは考えているのです。

共同体感覚は、協力・貢献という形で、社会に対して絶えず実現される。


ただし、アドラーが「貢献・協力」という時、それは必ずしも家族・学校・職場・宗教・国家など今ある共同体に貢献・協力することを意味しません。

「共同体感覚」で追求する共同体は、「たとえば人類が完全の目標に到達した時に考えることができるような永遠のものと見なさなければならない12」とアドラーはいいます。

歴史が証明しているように、既存の共同体は時に間違うもの。

われわれは、時に既存の共同体のルールに縛られることなく、より他者とのつながりを感じ、より広範囲に関心を持つことのできる共同体を、目指していかねばならないのです。

ゆるい
ゆるい

岸見一郎氏はこのことを「より大きな共同体の声を聴け13と説明します。
つまり、既存の小さな共同体ではなく、より大きな共同体に向けて、私たちは協力・貢献することが求められると考えます。

小さな共同体から一歩踏み出し、自分の信じる道をいく勇気が「嫌われる勇気」といってもよいでしょう。そんなテーマを書いたのがこちらの記事です。

宇宙の進化と共同体感覚の理念

晩年のアドラーは、思想家スマッツの「ホーリズム」という、宇宙の進化を土台とした壮大なストーリーのなかに、自分の理論を位置づけます。

ここでは、アドラーが最後にたどり着いた世界観に少しだけ触れていこうと思います。

アドラーは、宇宙には万物を形成する力が働いており、「すべての生は、宇宙の要求を満たすために絶え間ない戦いの中にある14」 と述べます。

つまり、太古の昔から、すべてのものは絶えず変化を続けてきたが、このプロセスは宇宙のもつ力によってもたらされているというのです。

一人一人の個人もまた、壮大な宇宙の一部15として、絶えず生成され、変化を続ける存在だと考えます。

アドラーによると、このような宇宙が起こす生成・変化は、ランダムではなく一定の方向性がある「進化」です。そして、「進化」を方向づけるのが、共同体感覚の理念なのです。

このことを書いたのが次の一文です。難しいですが、大事なところなのでのせておきます。

アドラー
アドラー

人間性の究極としての共同体感覚の理念 – すべての人生の課題が解決され、われわれとわれわれの外的世界との関係が正しく調整された理想的な状態 – というものは、様々なことを調整してくれる理想であり、方向性を与えてくれる目標となる。この完全の目標は、それそのものの内に、共同体の最終的な理想形を含まなければならない。なぜなら、私たちが人生で価値を抱いている全てのもの、存続し、存続し続ける全てのものは、永遠にこの「共同体感覚の理念」の産物だからである。

『生きる意味を求めて』A・アドラー著 岸見一郎訳 p.225改訳


ここでアドラーがいっていることをザックリまとめると以下の通り。

共同体感覚の理念とそのはたらき

・「共同体感覚の理念=理想の共同体感覚 / 理想の共同体」があると考えてみよう

・それは、宇宙の進化や、わたしたちの成長を方向づけてくれる目標になりますよ

・それは、世の中で本当に価値のあるものを生み出す力をもっているよ

共同体感覚の理念は、進化や成長を方向づけてくれる目標

「共同体感覚の理念=理想の共同体感覚」は宇宙の進化や個人・集団の運動など、さまざまなことに方向性を与える目標となります。

ただし、それは「近づくことができても、人間の能力では得ることができない16」目標であるとされます。


アドラーはそれを「調整する目標(regulative goal)」と表現します。つまり、進化のプロセスは一直線にはいきません。われわれは時に道を誤るし、後退することもあるでしょう。

けれどもそのとき、共同体感覚の理念はわれわれを正しい方向へと修正・調整する「導きの星17となるというのです。


たとえるならば、それは北極星のように。

理念としての共同体感覚は北極星のイメージとつながる。

「北極星」は北という方向性を示してくれる星です。共同体感覚の理念を、とりあえず北極星みたいなものだと想像してみましょう。

そして、たしたちは「北極星」を頼りに、北へ北へと向かっていると仮定します。時には、道に迷ったり、回り道をしたり、後退したりするかもしれません。

けれども「北極星」があることで、自分が道を間違えている、こっちが正しい方向だ、ということに気づくことはできるわけです。

私たちは迷いながらも、長い時間をかけて、少しずつより理想の共同体を目指して進化していく。「進化」は共同体感覚によって導かれる、というストーリーをアドラーは描いた。

共同体感覚の方向性に沿ったものは、存続し続ける

さらに、共同体感覚の理念は、「存続し続ける全てのものを生み出す」とアドラーは書いています。これは見方をかえると、共同体感覚の方向性に沿ったものは存続し続けるということを意味するでしょう。

アドラーは、

アドラー
アドラー

社会全般の幸福、人類のより高い発展は、われわれの祖先の永遠に不滅の貢献にもとづいている。その精神は生きたものとして永遠にとどまる。それは、不滅である。

『生きる意味を求めて』A・アドラー著 岸見一郎訳 p.227

とも伝えています。 つまり、宇宙の進化の流れは138億年前から続いており、この先もずっと続いていくでしょう。その流れの中で、いろいろな生物が誕生し、遅かれ早かれ死を迎えます。

つまり個体そのもの(身体、形)は限られた命を生き、永遠ではないわけです

しかし、宇宙の進化の方向性に沿った貢献(精神、動き)は、変化する宇宙とともに永遠に生き続けるというわけです。

一例として、彼は「汝殺すなかれ」「汝の隣人を愛せよ」というイエスの教えを挙げます18

この「汝の隣人を愛せよ」は、イエス・キリストの教えとして有名です。ただし、イエス自身はすでに亡くなっています。

つまりイエスの「身体」そのものは、今では形がありません。しかし、彼の「精神」は、彼が死してもなお、残っているというわけです。

アドラーによると、イエスの貢献は「共同体感覚」の方向性に沿っているから、永遠にとどまり、不滅であるということになります。


このように、わたしたちの生きる今の社会に残っているもの、そしてこれからも残り続けていくものは、無数の人々の共同体感覚に方向づけられた貢献によって築かれています。

アドラーの世界観を受け入れるならば、わたしたちは「共同体感覚の理念」の方向性に沿った貢献をするべきだということになります。

そうした貢献をしたときに、たとえ身体として死んだとしても、精神として生き続けることができるというのです。

そして、貢献の積み重ねによって、私たちは少しずつ「理想の共同体」の実現へと近づいていきます。

「共同体感覚」の注意点4つ

「共同体感覚」の注意点

・「共同体感覚」はフィクション

・「共同体感覚がある / ない」なんて簡単にはいえない

・“既存の共同体”への貢献を必ずしも意味しない

・「共同体感覚」を伝えたければ、まずは自分から

「共同体感覚」はフィクション

「共同体感覚」の注意点1つめは「共同体感覚」はフィクションだということ。この記事を読まれた方の中には…

ことり
ことり

アドラーのいっていることって、なんか宗教くさい…
「共同体感覚」なんて本当にあるのかしら?

と思われる人もいるかと思います。アドラー自身いっていますが、共同体感覚の世界観はフィクション(虚構)です。

つまり、本当にそれが存在するのか?と聞かれたら、それは存在しないということになります。

ただ、アドラーはいい加減なことをいっているのではなく、彼の思想は、彼自身のカウンセリングにおける人間観察をベースとしてつくられています。

さらに、「共同体感覚」のフィクション背後には

「共同体感覚」というものがあると仮定したら、それは人類の幸せに役に立つよね

という考え方があります。なので、「共同体感覚はあるのか、ないのか」みたいな議論はあまり意味がないです。

大事なのは、アドラーの描いた世界観を受け入れるのかどうか、さらには、それを役立たせて人生をよりよい方向に進めていくかどうかなのです。

「共同体感覚がある / ない」とは簡単にいえない

「共同体感覚」の注意点2つめは「共同体感覚がある / ない」なんて簡単にはいえないということ。

たとえば、

ふくろう
ふくろう

あの人の行動は、理想の共同体を目指していて素晴らしい!
この子は「他とのつながりを感じ、つながっている他へ関心を向けている」からよい!

みたいなことは、簡単にいえるものではありません。なぜなら、だれも完璧な「共同体感覚」など身につけていないから。

一方で、アドラー心理学のカウンセリングや教育の目的は、他者の「共同体感覚」を育むことだとされます。

「答えがはっきりしないもの」を伝えていかねばならない、という難しさがアドラー心理学にはあるのです。

“既存の共同体”への貢献を必ずしも意味しない

「共同体感覚」の注意点3つめは、「共同体感覚」で貢献を語るとき、それは“既存の共同体”への貢献を必ずしも意味しないということ。

「共同体感覚」で追求する「共同体」は「人類が完全の目標に到達した時に考えることができるような永遠のもの」でしたね。

「日本」の国民なんだから、日本に貢献しないのはダメだ。

「学級」に貢献しなさい。

このような、「全体主義」にならないように注意せねばなりません。

「共同体感覚」を伝えたければ、まずは自分から

「共同体感覚」の注意点4つめは、「共同体感覚」を伝えたければ、まず自分からということ。

つまり「他への思いやり」を相手に説くのであれば、「相手への思いやり」のある態度や方法で説く必要があるということです。

それこそ大人が子どもに、

ふくろう
ふくろう

あんたは思いやりがない子ね!
思いやりを持ちなさい!

みたいなことを頭ごなしにいったとき、子どもの立場からしたら、

うさぎ
うさぎ

なんだよ!
お前こそそんな言い方しやがって、思いやりのかけらもないだろ!

となってしまうわけです。

アドラーは、教育も治療も、それ自体が「協力の訓練であり、協力の試験」であり、「真に他者に関心があるときにだけ」それは成功する19と伝えています。

つまり、相手に本当に「他への関心」を身につけてほしいと願うならば、あなた自身がまず相手への関心をもつところから始めねばならないのです。

「共同体感覚」と両輪となるのが「勇気づけ」です。「共同体感覚」ってどうやって育んでいくんだろう?という人は、ぜひこの記事をお読みください。

「共同体感覚」をより深く学ぶなら

①『アドラーを読むー共同体感覚の諸相』 岸見一郎著

『嫌われる勇気』の岸見一郎先生のこの本では、アドラーの原著を元に「共同体感覚」や、アドラー思想のポイントを、わかりやすく解説されていてオススメです。原著は難しいけど、すこし硬派に勉強したいというひとにピッタリの一冊。

②『生きる意味を求めて』 A・アドラー著 岸見一郎訳

晩年のアドラーがたどり着いた「共同体感覚」の世界観は、こちらの本にしかのっていません。ただ、訳は正直イマイチ。いい本なんですが。

③『生きる意味』 A・アドラー著 長谷川早苗訳

②と同じ本の新訳が出ていますので、読みやすさを求めるならば、こちらをオススメします。英語の原題は“social interest(共同体感覚)”なのですが、それくらい「共同体感覚」についてくわしく書かれています。

著:アルフレッド・アドラー, 著:長谷川 早苗
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まとめ ー 「共同体感覚」を人生にどう生かすか

「他とのつながりの感覚、つながっている他へと向けられる関心」を意味する共同体感覚。最後に、この思想を自分の人生にどう生かすことができるか考えてみたいと思います。

まず、「共同体感覚」の思想を通じて、他とのつながりを自覚することができます。

あなたが今日1日を過ごすだけでも、呼吸をし、食べ物を食べ、物を買い、エネルギーを消費し、ゴミを捨て、誰かとコミュニケーションをとり…

自分という存在は、知ってか知らずか大なり小なり他に影響を与えているわけです。


しかし、人はそのことになかなか自覚できません。

なぜなら、つながりや影響はあまりに複雑で、目に見えるものばかりではないからです。

「共同体感覚」の思想は、そうした見えないつながりがあることに気づかせてくれ、自分の行動を振り返るきっかけを与えてくれるでしょう。


また「共同体感覚」の思想は、「目の前の共同体にこだわる必要はない」ということを教えてくれます。

たとえば、職場や学校で「おかしいな?」と思うことがきっとあるでしょう。

そのとき、われわれは目の前の小さな共同体にこだわりすぎることはありません。

目の前の小さな共同体の常識は、より大きな視点で見ればただの非常識…なんてことばかり。

「おかしいな」という違和感を大事にし、あなたの信じる道を、より大きな共同体を、目指していけばOKです。

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