【アドラー心理学】3つの「ライフタスク」から考える人と人のつながり

アドラー心理学
ゆるい
ゆるい

アドラー心理学を哲学的に研究している、あつくてゆるい(@atsukuteyurui)です。
アドラー心理学では他者への関心が大事であるとくり返し説かれます。では、アドラーはなぜそんなに“他者への関心”を大事にするのか?
本記事では、アドラー心理学の「ライフタスク」について深掘りすることで、その理由を探っていきます。

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【アドラー心理学】3つの「ライフタスク」から考える人と人のつながり

交友、仕事、愛の3つのライフタスク

人生には、人間が生きていく上で、必然的に取り組んでいくこととなる3つの課題(タスク)があるとアドラーは考えます。彼はそれらをライフタスクと呼びました。

3つのライフタスク

  • 交友(共生)のタスク
    そもそも人は1人で生きているわけではなく、他者とどのように共に生きていくか
  • 仕事のタスク
    地球という有限な環境で、どんな仕事を見つけ、他者とどのように分業して生きていくか
  • 愛のタスク
    人類は子孫を残さないと存続できないことを前提に、恋愛・結婚・出産・子育てなどにいかに取り組むか


なお、現代アドラー心理学ではこれらの3つのタスクに「自己(セルフ)」と「スピリチュアル」の2つのタスクも加えた、5つのライフタスクがあるとされています。

きらら
きらら

人間として生きていく限りライフタスクからは逃れられないと、アドラーは考えたということね。人間って大変ね。わんこに生まれてよかったわ。

ゆるい
ゆるい

確かに、人間として生きていくってそれだけでとっても大変なこと多いよね。
けど苦労がある分、喜びもあるってことでもあると思うけどね!

さて、3つのタスクをアドラーはどのように説明しているのでしょうか?アドラーの原著から紐解いていきましょう。


交友のタスク


交友のタスクについて、私たちは1人で生きているのではなく、「常に他者を考慮に入れ、他者に自分を適応させ、自分を他者に関心を持つようにしなければならない1」とアドラーはいいます。

つまり、交友のタスクとは、単なる友情関係にとどまらず、他者とどのようにともに生きていくかという基本的なテーマに取り組むことを意味します。

このことから交友のタスクは「共同体生活2」のタスクとも呼ばれ、次に説明する仕事・愛のタスクの基礎になるとされるのです。


仕事のタスク


仕事のタスクとは、地球や宇宙における資源や気候などの条件が、「われわれに提示する問題への正しい答えを見出すこと3」であるとアドラーはいいます。

人間は、さまざまな条件のもと社会を成り立たせ、生活していかねばなりません。そのためには、他者との役割分担(労働の分業)が必要です。つまり仕事のタスクとは、社会を成り立たせるための他者との協働作業に、いかに参加・貢献するかという課題なのです。


愛のタスク


愛のタスクとは、「身体的に引きつけられること、交際、子どもを生む決心において表される異性のパートナーへのもっとも親密な献身4」であると定義されます。

そして、「その協力は二人の幸福のための協力であるだけでなく、人類の幸福のための協力でもある5」とアドラーはいいます。これは彼が、人類の存続のために子孫を残すことの必要性から、愛のタスクについて言及しているからです。

当然、子どもを産めない人や、性的マイノリティーなどのケースはあるでしょう。しかしながら、自分が子どもを作るかどうかは別としても、人類の未来のためには誰かが子孫を残さねばならないのもまた事実。こうした事実や課題にいかに向き合うかを、アドラーは愛のタスクと呼びました。

きらら
きらら

アドラーって言ってることが壮大だね!

ゆるい
ゆるい

そうなんだよね〜。
けど人間が生きるということは、本人が望む望まない関係なく、そうした壮大な流れの中に身を置いているということなのかもしれないね。もしかしたら、きららも同じかもよ?

以上「ライフタスクとは何か?」について、アドラーの言葉を元に考えてきました。さて、アドラー心理学で「ライフタスク」はとても有名で、入門書にも出てくる話です。

このブログではここからさらに深掘り。アドラーはなぜライフタスクという考え方をしたのか?についても考えていきます。(本当に大事なのはここから先だと自分は感じます)

3つの絆→3つのタスク

人がライフタスクに取り組まなければいけないのは、人がつながり(絆)の中で生きているからであるとアドラーは考えました。

すべての人は、三つの主要な絆の中に生きている。これを考慮しないわけにはいかない。それが人の現実を構成する。なぜなら、人が直面するすべての問題や問いは、そこから生じるからである。これらの問いに答え処理することが常に強いられる。

『人生の意味の心理学(上)』A・アドラー著 岸見一郎訳 p.10

3つの絆とは、

  1. 地球という厳しくも限られた環境で生きていること
  2. 人間は弱さゆえ他者と結びついて生きること
  3. 人間がやがては将来へ命をつなげる生物であるこ


であるとされます。これらは人間がこの世に生を受けた瞬間から逃れることができない結びつきであり、3つの絆は順に(1)仕事のタスク、(2)交友のタスク、(3)愛のタスクの根拠として説明されるのです。

3つの絆3つのライフタスク
地球という厳しくも限られた環境で生きていること仕事のタスク
人間は弱さゆえ他者と結びついて生きること交友のタスク
人間がやがては将来へ命をつなげる生物であること愛のタスク
「3つの絆」と「3つのライフタスク」の対応関係


人間は身体的に弱い生き物。この厳しい地球環境で生き抜いていくためには、仲間と助け合っていかねばなりません。そのことを彼は「3つの絆」と「3つのライフタスク」から物語ったのです。

ゆるい
ゆるい

アドラーは、人間とは“社会的存在”であり“関係的存在”であることを強調します。このことは、彼の思想を理解する上でとてつもなく重要です。

人間は3つの絆の中に生きているから、3つのライフタスクが発生する

ライフタスクから考える「共同体感覚」の意味

最後に「ライフタスク」から、アドラー心理学の鍵概念である「共同体感覚」について考えます。「共同体感覚」のドイツ語(原語)とその英訳から、以下の意味がわかります。

  • 「共同体感覚」の原語”Mitmenschlichkeit”は「人と人とが共にあること」というニュアンス
  • 「共同体感覚」の英訳”social interest”は「他者への関心」というニュアンス


しかし「共同体感覚は人と人とが共にあること」「他者への関心」と言われてもまだ曖昧さが残りますよね。そこでヒントになるのが先に述べた「3つの絆」と「3つのライフタスク」です。

アドラーは「ライフタスク(人生の課題)」について、こんなことを言っています。

個人が人生の課題と深く結びついていることを示している。即ち、個人の全体は人生―おそらく共同といった方がいいだろう――の連関から引きずり出されることはできないということである。

『生きる意味を求めて』A・アドラー著 岸見一郎訳 p.32

アドラーはここで個人は他者とライフタスクで深くつながっているといいます。また「人生とは(他者との)共同である」とまで言っています。

他にもアドラーは個人を「生活領域の問題(ライフタスク)と緊密に結びついた「分割できない」全体として生きる存在6」として捉えていることがわかります。


つまり「共同体感覚」の「人と人とが共にある」ということは「人と人はライフタスクでつながっている」ということ。(またそもそも「つながり(3つの絆)があるからライフタスクが生じる」とアドラーは言っている)

そして「共同体感覚」についても、以下のように説明することができるのではないでしょうか。

「共同体感覚」とは、ライフタスクを通じた人と人とのつながり(Mitmenschlichkeit)を感じ、つながっている他者へ関心(social interest)をもっていること

きらら
きらら

他者とつながっていない個人なんてありえないということだね。そして、つながっている限り「他者に関心をもつ必要がある」ということか…
なんとなくだけど「個人主義」といわれるときの「個人」とは真逆な感じがするなぁ。

ゆるい
ゆるい

そう思うよ。「個人主義」の「個人」というのは、他者から独立したイメージ。
アドラーはその真逆のことを言っているよね。

まとめ − 人はつながりながら生きていた。では今は?

3つの「ライフタスク」から考える、人と人とのつながりというテーマで書いてきました。まとめると以下の通りです。

まとめ

  • ライフタスクとは、人間が生きていく上で必然的に取り組んでいくこととなる課題(タスク)
  • ライフタスクには「仕事」「交友」「愛」の3つがある7
  • 人間は3つの絆(つながり)の中に生きているから、3つのライフタスクが発生する
  • 個人はライフタスクを通じて他者とつながっている(つながりそのものが個人である)
  • 「共同体感覚」とは他者とのつながりを感じ、つながっている他者へ関心をもっていること


ところでみなさんはアドラーが言うような「他者とのつながり」をどれくらい実感されるでしょうか?

例えば、ご近所付き合い一つとっても、昔と今とでは大きく様子が違うのは明らかです。以前、とあるマンションの「あいさつをやめましょう」というルールが大きな話題となりました。

投書によれば、住民同士で「あいさつをやめましょう」とのルールが生まれたのは、小学生の子供を持つ親が発した一言がきっかけだった。その親は、マンションの住民が集まる総会の中で、

「(子供に)知らない人にあいさつされたら逃げるように教えているので、マンション内ではあいさつをしないように決めてください」

と提案したという。その上で、子供には声をかけられた相手が住民かどうかを判断できないことから、「教育上困ります」とも話していたそうだ。

この提案に、総会に出席していた年配の住民も賛同。あいさつをしても相手から返事がなく「気分が悪かった」として、「お互いにやめましょう」と意見が一致し、最終的に「あいさつ禁止」のルールが明文化されることになったという。

マンション住人同士「あいさつ禁止」 神戸新聞投書が大波紋 https://www.j-cast.com/2016/11/09282885.html?p=all


これは極端かもしれませんが、実際これに似たような状況ってありますよね?

私自身も同じマンションにかれこれ4年住んでいますが、いまだにお隣の人の顔も名前もはっきりとはわかりません。

昔…というより自分が子どもの頃ですら今とは違う雰囲気だったと記憶しています。マンションに引っ越したら同じ階の住民に挨拶回りをしたり、ご近所の家にちょくちょくお呼ばれした記憶もあります。

もちろん地域や家庭の方針にもよるとは思うのですが、今はこうしたご近所付き合いも随分減っているのではないでしょうか。


「他者とのつながり」とか言われても、正直面倒臭い!これ本音ですよね。いや、実際面倒臭いことなんだと思います。

ただこれまでは「面倒臭い」とは言ってられなかった。というのも、生きていく上で他者とつながることはほぼ必須だったというところもあったからです。

村で稲作や農業をして暮らすだとか、商店街で家族経営のお店を営むだとか、会社という組織でサラリーマンとして生きていくのもそう…。「生きていく=他者とつながること」という構図があったわけです。

けれども今はどうでしょうか?

きつね
きつね

生活に必要なものはamazonの宅配ですべて手に入れる。結婚もしない、子供もいらない。だって、人とつながるのって面倒臭いから。

だし、そっちの方が誰にも迷惑かけないでしょ?一人で生きていくのが気楽で一番!もしくは気の合う仲間数人と、面倒くさくない範囲で関わっていければいい。

究極こんな生き方だって十分可能なわけですよね。

アドラーが「ライフタスク」や「共同体感覚」を唱えていたのは、1900年代前半のこと。当時はインターネットもありませんでした。あれから時代は大きく変わりました。

他者とのつながりを前提とした、ライフタスクや共同体感覚。その現代的な意味はなんなのでしょうか?

ゆるい
ゆるい

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