【アドラー心理学】ライフスタイルとは何か?(アドラーの人間観を探る)

アドラー心理学

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アドラー心理学を哲学的に研究している、あつくてゆるい(@atsukuteyurui)です。
この記事では、アドラー自身の言葉を頼りに、個人の人生をつかさどる法則「ライフスタイル」そしてアドラーの人間観について考えます。

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「ライフスタイル」とは何か?

ライフスタイル ≒ 性格

個人が生きる上での、ものの見方・考え方・行動の傾向やクセ、信念・信条などをアドラー心理学では「ライフスタイル」と言います。日常的な言葉では「性格」に近いものです。ライフスタイルについて、アドラーは著書の中で、次のように述べています。

子どもが自分の運動法則を見出すと、その中にリズム、気質、活動性、とりわけ、共同体感覚の程度が観察されなければならないのであるが(このような現象は、しばしば早くも二歳で、五歳までには確実に認められる)、子どもの他のすべての能力も、その独自な仕方で、この運動法則と結びつけられる。本書では、主として、その法則と結びついた統覚、即ち、人がどのように自分自身と外界を見るかということが考察される。

『生きる意味を求めて』A・アドラー著 岸見一郎訳 p.6〜7


ここでのキーワードは以下の2つです。

  • 人がどのように自分自身と外界を見るか
  • 運動法則

以降では、アドラー自身の言葉「人がどのように自分自身と外界を見るか」「運動法則」の2つに絞って見ていきましょう。

※なお、「ライフスタイル」はアドラー以後の研究者によって他にもさまざまな定義づけがされています。
・現代アドラー心理学では「自分と世界の現場と理想についての信念体系」と定義することがあります1
・アドラーの弟子、R・ドライカースは「ライフスタイルは、音楽の主題にたとえることができる。それは、われわれの人生に繰り返し現れるメロディである2」と表現しています。

「ライフスタイル」=「自分と外界への意味づけ(解釈)の仕方」

突然ですが、この「コップに入った水」を見てください。


さて質問。あなたはこの「コップに入った水」をパッと見たとき、次の1〜3のどの見方に一番近いでしょうか?

  1. まだ半分入っている
  2. 半分なくなっている(半分しかない)
  3. 半分入ってるけど半分ない


さて、みなさんはどの見方が一番近いですか?

  • 「1.まだ半分入っている」と見る人→ポジティヴ
  • 「2.半分なくなっている(半分しかない)と見る人→ネガティヴ
  • 「3.半分入ってるけど半分ない」と見る人→冷静


みたいなことが、よく言われます。(実際どれほど合っているかは知りません)

ただ少なくともここで言えることは、同じコップの水を見て「①まだ半分入っている」と感じる人もいれば、「②半分なくなっている」と感じる人もいるということ。つまり、同じ事実を見ていても「解釈や意味づけ」は人それぞれ違うということです。

例えるなら “メガネ” みたいなもの。人間1人1人が独自の”メガネ”をかけて物事を見ていると考えてください。

“メガネ”に相当するのが「ライフスタイル」。アドラーの言葉でいう「人がどのように自分自身と外界を見るか」です。黒いメガネをかけていたら「黒」に見える、赤いメガネをかけていたら「赤」に見える。それと同様で、人それぞれがもっているライフスタイルにより、見方・考え方の傾向やクセがある、と考えます。

アドラーはこのことを以下のように説明しています。

人は「事実」によってではなく、事実についての考え(意味づけ)によって影響を受けることは、 明らかである。

『生きる意味を求めて』A・アドラー著 岸見一郎訳 p.21


「考え(意味づけ)」の英語は “interpretation(解釈)3

つまり人は「事実そのもの」を見ているのではなく、事実の「解釈」を見ていると考えます。「ライフスタイル」が「解釈」を決め、「解釈」が「行動や行為」を決めます。

「ライフスタイル」が変わると「解釈」が変わります。「解釈」が変わると「行為・行動」も変わります。


ちなみに、「ライフスタイル」は子ども時代に知らず知らずのうちに身に付けてしまっており、自分自身で簡単に自覚できるものではありません。(どんなメガネをかけているか簡単には気づけない)このことについてはあとで改めて確認します。

以上がアドラーが「人がどのように自分自身と外界を見るか」と説明するときの「ライフスタイル」の考え方です。次は「運動法則」としての「ライフスタイル」についてです。

「ライフスタイル」=「個人の運動法則」

「人生」や「生きる」ということを、アドラーは運動(movement)と表現しました。ここで押さえておきたいのが、優越性の追求です。

すべての人を動機づけ、われわれがわれわれの文化へなすあらゆる貢献の源泉は、優越性の追求である。人間の生活の全体は、この活動の太い線に沿って、即ち、下から上へ、マイナスからプラスへ、敗北から勝利へと進行する。

『人生の意味の心理学(上)』A・アドラー著 岸見一郎訳 p.87

人間は本能的に下から上への成長や発展を目指すとアドラーは考えます。アドラー心理学の用語で、この人間の性質を優越性の追求と呼びます。そして、人生は「下から上への運動」「目標へ向かう運動」であるとアドラーは表現するのです。

優越性の追求とは
  • 人間は本能的に成長・発展を目指す生き物
  • 人生とは「下から上への運動」「目標へ向かう運動」

人生という「運動」をつかさどる、独自の「法則」を1人1人がもっている。その運動法則こそが「ライフスタイル」だということです。

子ども時代に見出された優越性の目標、即ち、個人の運動法則である – ライフスタイルは活動性を作り出すのである。

『生きる意味を求めて』A・アドラー著 岸見一郎訳 p.59


「ライフスタイル」=「個人の運動法則」という見方は、先の「ライフスタイル」=「自分や外界への解釈や意味づけの仕方」の考え方と、基本的には同じです。

例えば、自分自身のことを「どうせ自分はダメ人間だ」と解釈する人と、「自分はやればできる人間だ」と解釈する人では、日々の行為・行動は間違いなく変わるでしょう。

また、周囲の世界に対して「自分の周りは敵ばかりで危険だ」と解釈する人と、「自分の周りはステキな仲間がいて安全だ」と解釈する人でも、行為・行動は間違いなく変わります。


つまり「ライフスタイル(解釈・意味づけの仕方)」によって「人生=運動」が決まるわけです。ただし「ライフスタイル=個人の運動法則」という時は、より「行為・行動(動き)」に焦点を当てた言い方であると理解できます。

一人一人の独自の「解釈の仕方」「運動」をつかさどる「ライフスタイル」。ではそのライフスタイルを、人はどのように形成するのかを次で見ていきたいと思います。

ライフスタイルはどのように形成されるのか?

アドラーによると、ライフスタイルは子ども時代に形成されます。そして、早くも2歳に、遅くとも5歳まで[efn_note]現代アドラー心理学では8〜10歳まで(参照:ヒューマンギルド主催 アドラー心理学ベーシックコース資料)[/efn_note]にはライフスタイルが確実に認められる4、と言います。

では、子ども時代にどのようにライフスタイルを形成するのか?アドラーは次のように述べます。

誰もが自分の人生を始める時に、どんな道を歩み、どんな運動の法則を採るかを自ら決めるが、その際生まれつきの能力も、 環境から受ける最初の印象も比較的自由に利用できるので、この運動の法則は、人によってテンポ、 リズム、方向が違う。

『生きる意味を求めて』A・アドラー著 岸見一郎訳 p.30


ここでの大事なポイントは「自ら決める」「利用」という表現です。アドラー心理学では「自ら決めること(自己決定性)」を重視します。

ライフスタイルについても「十分な言葉も持っていない時」から自己決定していると考えます。もちろん、何もないところで勝手に自己決定するわけではありません。自分自身の特性や外部環境から影響を受けながら、自ら決定していきます。

われわれが人生の最初に見ることができるものは、既に誕生の最初の日から外的な状況の影響を強く受けている。子どもは遺伝と環境の両方の影響を受け、それらを発達の道を見出すために使うのである。

『生きる意味を求めて』A・アドラー著 岸見一郎訳 p.120


つまり、ライフスタイルの形成には、決定因影響因の2つがあると整理できます。

ライフスタイルを形成する決定因と影響因

1決定因 自己決定

2影響因
 ①身体的な影響
 (1)気質の遺伝
 (2)器官劣等性※身体的に弱い部分があること

 ②環境
 (1)家族関係 きょうだい関係、家族の雰囲気など
 (2)文化   育った国の文化、時代言語など

参照:ヒューマンギルド主催 アドラー心理学ベーシックコース資料

アドラー心理学では影響因はありつつも、自己決定(創造性・創造力)が重視されるのです。

参照:アドラー心理学豆知識:ライフスタイル形成の影響因と決定因

われわれはこの子ども時代にほぼ無自覚的につくったライフスタイルにしたがって、生涯にわたって考え、感じ、 行動することになるとアドラーは言います5

きらら
きらら

ひゃ〜!!子ども時代の影響ってそんなに大きいんだね!

ゆるい
ゆるい

そうなんだよ。子ども時代の親のかかわりや家族関係により、子どもが「誤ったライフスタイル」を獲得する可能性があるということをアドラーは主張しているよ。

ライフスタイルの誤りとその修正

アドラーの書籍を読むと「ライフスタイル」は誤って築かれることがあるとわかります6そして、アドラー心理学では、「誤ったライフスタイル」を「正しいライフスタイル」に修正するというアプローチをとります。


アドラーは、1人1人が自らの「ライフスタイル(解釈の仕方、運動法則)」をもっているが、自分ではそのことを理解しておらず、説明することもできない、といいます7

そして、子ども時代一度形成されたライフスタイルは、スムーズに事が進む限り持続されるもの8です。

つまり、自分の力では、ライフスタイルの誤りになかなか気づけないわけです。


そこで、他者のライフスタイルの誤りを見つけて修正するよう働きかける、教師やカウンセラーなど支援者の役割が出てきます。このことについて、アドラーの言葉を見てみましょう。

教育者、教師、医師、聖職者に割り当てられる課題は、人生が人に与えた意味に近づかせるために、失敗の実際の原因を確信させること、人が人生についていつの間にか持った正しくない考え、誤った意味づけを見つけ出すことによって、共同体感覚を高め、それによって勇気づけることである。

『生きる意味を求めて』A・アドラー著 岸見一郎訳 p33


教師についても「子どものライフスタイルの誤りを見つけて治す」のが役割であると、明確に述べています9

なお、何が「誤ったライフスタイル」であるかについても疑問を感じられるかもしれません。

たとえば「自分の周りは敵しかいない」とか「自分はどうせ何の能力もない」みたいに極端な物の見方は誤っていると言えるでしょう。しかしながら、「誤り」や「正しい」という判断をすることは、そんなに簡単な話ではないことに注意も必要です。

また、他者のライフスタイルの誤りを見つけるには、他者のライフスタイルを理解する必要が出てきます。

きらら
きらら

他者のライフスタイルなんて、どうやって理解するの?

ゆるい
ゆるい

アドラーは、他者のライフスタイルを理解するために、その人の行う運動(言動や行為など)を注意深く観察し、調べる必要がある10と言っているよ。そして、そのための分析手法がいろいろある。
たとえば、
・10歳くらいまでの記憶からを探る方法(早期回想)
・きょうだいの中での誕生順位から探る方法
・いくつかの項目に答えて自分のタイプを分析する方法(ライフスタイル診断)
などなど。


ただし、アドラー心理学の技法を使っても、個人のライフスタイルを完全には理解できないということに注意が必要です。

アドラーによると、アドラー心理学の分析には「統計的な蓋然性(がいぜんせい)11」がある、つまり統計的な傾向として正しさがあるとのこと。

しかし同時に、「絶対的な因果関係」として決めつけてはならず、「個人の多様性や一回性を見逃してはならない」12ということも強調しています。

これは例えば「あなたは長男だから、目立ちだがり屋だ」というように、「AだからB」という因果関係として捉えてはならないということです。


また、アドラーは「個人の一回性は、短い公式では把握することはできない13と述べています。


つまり、他者のライフスタイルを完全に理解することができるとは、そもそも考えていないと読み取れます。

(このことは、次で述べるアドラーの「人間は関係性の中で絶えず生成・変化する」という人間観からも説明できるでしょう)

以上をまとめると、アドラー心理学の支援者としてのアプローチは以下のように言うことができるのではないでしょうか。

ライフスタイルとは何か?(アドラーの人間観を探る)

アドラー心理学のアプローチとは?

他者の「ライフスタイル」の理解を試み、誤りがありそうならば修正されるよう働きかける

※ライフスタイルは完全には理解できない。アドラー心理学の知識・技法はあくまで補助

さて、ここまでアドラーの原著を読み解きながら、「ライフスタイル」について深いところまで学んできました。

最後に「ライフスタイル」から少しだけ発展させて、アドラーのそもそもの人間観についても触れておきます。

ちなみに今から書く話についてきちんと書いてあるアドラー心理学関連の本を、私は今のところ見た事がありません。けれども、アドラー心理学を正しく理解する上でかなり重要な話です。

そして、次に紹介するアドラーの「生成・変化の人間観」を知ると、ライフスタイルについてもより深く理解することができるでしょう。

「人間は関係性の中で絶えず生成・変化する」という人間観

「人間は関係性の中で絶えず生成・変化する」これがアドラーのそもそもの人間観です。アドラーは著書『生きる意味を求めて』の最終章で、次のように書いています。

われわれ個人心理学14者は、以前からわれわれが形と把握したものを動きへ溶かしている。

『生きる意味を求めて』A・アドラー著 岸見一郎訳 p.220


ここでキーワードとなるのが「形」「動き」です。

「形」と「動き」とは?

形 →固定的で、変化がないこと(実体の立場)

動き→生成的で、絶えず変化し続けること(生成・関係の立場)


すべての存在が「実体(形)」か?それとも「生成(動き)」か?という問いは哲学的なトピックです。

伝統的なヨーロッパの存在観においては,独立自存する〈実体〉なるものがまずあって,実体どうしの間に,第二次的に〈関係〉が成立するものと考えられてきた。これに対して,〈関係〉こそが第一次的な存在であり,いわゆる実体は〈関係の結節〉ともいうべきものにすぎないと考える立場が,仏教の縁起観など,古くから存在したが,現代においてはこの〈関係主義〉的存在観が優勢になりつつある。…

世界大百科事典内の実体(哲学)の言及https://kotobank.jp/word/%E5%AE%9F%E4%BD%93%28%E5%93%B2%E5%AD%A6%29-1331733


仏教用語で「諸行無常」という言葉を一度は聞いたことがあのではないでしょうか。「諸行無常」とは、簡単に言うと「全ての存在は常に変化しており、一瞬たりとも同じ状態は保たれない」という意味。これはまさに「生成・変化の立場の見方」であると言えます。

アドラーは「形を動きに溶かす」と述べています。つまり「固定的な存在」にされがちなものを「生成的な存在」として見ていくのが個人心理学(アドラー心理学)の仕事であると、この1文で伝えているわけです。

きらら
きらら

うーん、もう少し具体的にお願い!

ゆるい
ゆるい

では、さっきまでの「ライフスタイル」の話とも結び付けながらもう少し具体的に見て行こう。


例えば「あの子は××な子だ」という断定的な見方は、固定的な人間観に基づくと言えるでしょう。先ほど「ライフスタイル」について、絶対的な因果関係として「この人は〇〇だから××だ」と決めつけてはいけない。

個人の一回性や多様性を見失うな!というアドラーの主張を確認しました。先生がある子どものことを、誕生順位分析の知識を使って

ぺんぎん
ぺんぎん

あの子は長男だから、人を支配したがっているんだな


などと固定的な因果関係(AだからB)で決めつけてしまった場合、これは「固定的な実体の見方」です。


アドラー心理学は「形(実体)を動き(生成)に溶かす」と言っています。つまり「あなたは××だ」と固定的に分析するものではないのです。

「動き(生成・変化)」の立場では、人間というのは「生成的で絶えず変化する存在」です。「昨日のあなたと、今日のあなた、明日のあなたは違う」と考える立場だということです。

「先生の前でのあなたと、友達の前でのあなたと、家族の前でのあなた」は違います。同じ友達であっても「Aさんの前のあなたと、Bさんの前のあなた、Cさんの前のあなた」も全て違います。


一瞬一瞬、人間は関係性の中で絶えず変化し続けていると考える人間観。絶えず変化しているものを「これだ」と固定的につかめるものではありません。(したがって、他者のライフスタイルも「これ」と完全に理解することはできない)

これが「動き=生成的で変化し続ける」アドラーの人間観であり、それは他との関係によって常に変化する「関係的」な人間観であるということになります。

ゆるい
ゆるい

ちなみにアドラーが「関係=個人」という人間観であることは、以下の記事で詳しく解説しています。

きらら
きらら

アドラーは固定的な見方に反対なのだとしたら、なんで「性格診断」とか「タイプ分け」みたいなことをするの?

ゆるい
ゆるい

「タイプを使うのはあくまでも視野を照らすためで、それで個人の理解に近づくことはない15とアドラーは言っているよ。
つまり「こういう可能性はないだろうか?」という、ヒントのためってことじゃないかな。個人心理学(アドラー心理学)は「視界を一時的に照らす補助手段以上ものであってはならない」と著書の冒頭16でも述べている。心理学による分析は人間理解の参考にできる一方で、分析することで固定的な見方になってしまうことには、かなり注意を払っていると感じるよ。

まとめ – 教育に携わる人間が気づくべきこと

ライフスタイルとは何か?(アドラーの人間観を探る)というテーマで書いてきました。まとめると以下の通りです。

ライフスタイルとは何か?(アドラーの人間観を探る)

・ライフスタイル=「解釈の仕方」「個人の運動(人生)」をつかさどる法則

・ライフスタイルは、子ども時代、自分自身の特性や外部環境から影響を受け、自己決定

・アドラー心理学では、他者の「ライフスタイル」を理解、誤りが修正されるよう働きかけ
※ライフスタイルは完全に理解できない。心理学の知識・技法を絶対視しない

・アドラーの人間観=人間は関係性の中で「生成・変化」

ゆるい
ゆるい

「ライフスタイル」とアドラーの人間観の話から、特に教育に携わる人間が気づくべきことがたくさんあると考えます。


まずは、自分が見ているのは事実そのものではなく「解釈」にすぎないということ。「ライフスタイル」の考え方を採用するならば、どれだけ「冷静に客観的に見ている」と言い張っても、自分の「解釈」を含まないことなどあり得ないわけです。

例えば

ぺんぎん
ぺんぎん

クラスのある生徒のことがどうしても苦手!!

とします。先生だって人間だし、そういうこともあるでしょう。そしてその時に、「あのときあの子は××な発言をした」「このとき△△な行動をとった」などと証拠を集めて、

ぺんぎん
ぺんぎん

あの生徒が間違っているのは紛れもない事実だ。
よし叱ってやる!


なーんてこと、先生あるあるでしょう?けれども、それだって、突き詰めて考えればただの「解釈」なわけです。たくさんいいところがあるのに、マイナスのところだけを切り取っているのにすぎないかもしれませんよね。


リフレーミングという、自分の「ものの見方」を変える技法があります。「ものの見方」を変えるだけで、今まで脅威に感じてたものが、まったく気にならなくなる。そして、子どもとの関係が一気に好転する。

そんなことを、私自身は何度も経験したことがあります。子どもは何も変わっていません。自分の「解釈」が、全てを決めているのです。


また、相手のことを「××だ」と断定し、レッテルを貼ることの危険性にも気付けるでしょう。これは自分の教員経験からの話ですが、

ぺんぎん
ぺんぎん

あの子は××な子


という”固定的な”レッテルに、子どもはとっても敏感だし、嫌がります。これはこちらが直接的に口に出さなくても、そう思って接していると、子どもは敏感に感じ取ります。

もしくは「男だから〇〇」「女だから□□」などと、個人は1人1人違うのに、”固定的に”ひとまとめにすることにも、違和感を感じる子どもは少なくないです。


けれども、学校の先生ってレッテルを貼りがちです。(保護者をモンスターペアレントと呼ぶのもそうですよね)

「生成・変化・関係」の人間観に立つならば、このようなレッテルは明確に否定されるでしょう。そして、目の前の「変化し続ける他者」と、常に新たな気持ちで向き合うことの大切さを教えてくれるのではないでしょうか。


ただ残念なことに…「心理学」が逆にレッテルを与えてしまっているケースがあると感じます。

それこそアドラー心理学の本でも、「男の子のやる気を引き出すためには」「自分から勉強する子にするためには」みたいなタイトルの本が実際に出版されています。

中身は読んだことがないので断言はできませんが、あくまでもタイトルを見る限り、「男の子」はひとまとまりに一緒なのか?「自分から勉強する子」なんて、大人が勝手に思っている固定的な理想像じゃないか?みたいな疑問がどうしても浮かんでします。

そして「形を動きに溶かす」「個人の一回性を大事にする」などの、アドラー心理学の大事な人間観の部分が欠落しているのではないかと心配になります。

むしろ「心理学」の名の下に、人を固定的な「形」にしてしまっている危うさすらあるのではないでしょうか。

心理学を学ぶことで、人の心がわかったような気になってしまう。そして、実際、理解が進む部分もあるでしょう。

けれども、それは絶対的なものではありませんし、人をコントロールするために使うものでもありません。

今回学んだアドラーの「生成・変化・関係」の人間観をきちんと理解すれば、このような陥りがちな罠の前に、踏みとどまらせてくれます。そして大事なことは「目の前の変化する他者と向き合うこと」だと気づかせてくれるでしょう。