偏見や先入観は良くないものだと私たちは考えがちだ。特に、カウンセラーが先入観を持つなど言語道断だと思う人も多いだろう。しかし、驚くべきことに、アドラーカウンセリングでは先入観を歓迎するという。一体どういうことだろうか?
この一見矛盾した考え方を理解するには、アドラー心理学の核心に触れる必要がある。アドラー心理学では、人はフィルターを通してしか物事を見られないという「認知論」を強調する。つまり、私たちは現実をそのままの姿で認識しているのではなく、常に何らかのフィルターを通して世界を理解している。
さらに踏み込むと、人は自らの神話や物語を構築して生きていると言える。
例えば、「結婚したら子どもを持つべき」「年上の人には敬語を使う」といった考え方は、特定の文化や社会の中で形成された価値観であり、普遍的な真理ではない。しかし、多くの人はこれらをあたかも絶対的なルールであるかのように日々の生活を送っている。
これらの表層的な物語・神話の背後には、より深い個人の世界観が存在する。アドラー心理学では、この根本的な世界観や自己概念を「ライフスタイル」と呼ぶ。例えば、「世界は常に私に試練を与える場所だ」や「私は常に完璧でなければならない」といったような信念。これらは幼少期に形成され、その人の人生の指針となる。
つまり、私たちは皆、自分なりのライフスタイルという “フィルター” を通して世界を見て、解釈し、行動しているのである。このフィルターは、日々の具体的な判断や行動に大きな影響を与えている。
この理解が、アドラーカウンセリングで重要な意味を持つ。
クライアントは自身のライフスタイル、つまり独自の物語・神話の中に生きており、そのライフスタイルが時として苦痛や問題の根本原因となる。ゆえにカウンセラーは、クライアントのライフスタイルを理解し、必要に応じて新たな視点や解釈を提供するのである。
10年ほど前、初めてアドラー派の公開カウンセリングを見た時、カウンセラーがクライアントに「もしかしたら〜かもしれませんね」といった主観的な提言をしているのを目にして、まるで占いを聞いているかのようだと違和感を覚えた。
しかし今では、あれが正解だったのだと理解できる。カウンセラーは、クライアントの物語に新たな解釈や可能性を提示していたのだ。我々は主観や偏見を避けようとするが、実際には主観的な解釈しか “存在し得ない”。
そこで、アドラー心理学は「先入観の心理学」だと開き直る。カウンセリングの場でも、この主観性を避けるのではなく、むしろ積極的に活用する。
ただし、これは断定ではなく、仮説を持ちながら接するという意味だ。そして、クライアントがより幸福になるための新たな世界の意味づけ・物語を提案し、クライアントと協働しながら、ライフスタイルを書き換えていく教育的なアプローチを取る。
アドラーの原著を振り返ると、そこには彼の臨床経験から導き出された人間に関する鋭い洞察が数多く記されていることに気づく。これまで私はそれらの記述をさほど重視していなかったが、カウンセリングの世界に足を踏み入れた今、その価値を新たな視点で捉え直している。
アドラーの真髄は、人間存在を的確に捉える天才的な洞察力にある。その洞察の数々は、カウンセリングにおける「先入観」の源泉として、今まさに輝きを増しているように思える。
アドラーカウンセリングは、主観的な解釈や仮説を積極的に活用することで、クライアントの人生に新たな可能性を開く。それは、現実を固定的なものとして捉えるのではなく、常に再解釈と再構築が可能な物語として捉える視点を提供するのだ。
先入観を避けるのではなく、それを活用して新たな物語を紡ぎだす―これがアドラーカウンセリングの真骨頂なのである。