アドラーカウンセラー養成講座で、「究極目標」が話題に上がった。アドラー心理学における究極目標とは、人間の行動や思考を根本的に方向づける抽象的な目標だ。アドラーは次のように述べている。
精神器官である魂(soul)の中に、目標に向かって行動する力以外のものを認識することは、ほとんど不可能と思われる。個人心理学では、人間の魂のすべての現象を、あたかも目標に向かっているかのように考える。
Adler, A. (1926) Menschenkenntnis. Leipzig: Hirzel. = (1927) Understanding Human Nature. (邦題:人間知の心理学) Translated by Wolfe, W. B. New York: Greenberg, Publisher, Inc. p20
アドラーによれば、人間は幼少期に「魂の目標」、すなわち究極目標を設定する。これは遺伝や環境の影響を受けつつも、自らの創造性によって無意識的に獲得される。
究極目標には「完全」「優越」「所属」「意味」「支配」「熟達」「貢献」など、数多く種類があるという。
究極目標は、我々の思考、感情、意志、さらには夢想に至るまで、あらゆる精神活動を方向づける力を持つ。
しかし、多くの人はこの究極目標を意識していない。日常生活では、より具体的で意識的な目標を立てる。これらの具体的目標は個人的でユニークだが、すべては究極目標につながっているとアドラーは考えた。
これまで私は、究極目標は幼少期のライフスタイル形成時に設定され、変わらないものだと理解していた。アドラーも次のように述べている。
精神現象の外的な形として具体化され、言語に表現されたものなどの現象的なものは変わりうるが、基礎、目標、力動など、精神生活を最終的な目標へと方向付けたすべてのものは、一定のままであった。
Adler, A. (1926) Menschenkenntnis. Leipzig: Hirzel. = (1927) Understanding Human Nature. (邦題:人間知の心理学) Translated by Wolfe, W. B. New York: Greenberg, Publisher, Inc. p6
ところが講師の岩井先生によると、究極目標はあくまでも目標であり、自ら設定し直すことができるという。実際、岩井先生自身が最近の環境変化の中で、究極目標を「優越」から「貢献」に変更したそうだ。
ここで注意したいのは、究極目標そのものに善悪はないということだ。「優越」そのものが悪いわけではない。アドラーが強調する「共同体感覚」の方向性に沿った社会的関心(social interest)に基づく優越もあれば、自己中心的(self interest)な優越もある。
岩井先生が究極目標を変更した理由は、「優越」を究極目標とすることの潜在的リスクに気づいたからだという。たとえ社会的関心に基づく優越であっても、自身を過度の興奮状態に追い込んだり、健康を犠牲にして競争に走る危険性がある。
このように、それぞれの究極目標には持ち味もあれば弱点もあるのだという。
幼少期に自動的に決まり、変更不可能だと思っていた究極目標を、自ら設定し直せるという発想は新鮮だった。さらに、各究極目標にはそれぞれ特有の性質があることにも気づかされた。
アドラーの次の言葉が、新たな意味を帯びて響く。
目標自体は、我々は変化するものとしても、または静的なものとしても捉えることができる。
Adler, A. (1926) Menschenkenntnis. Leipzig: Hirzel. = (1927) Understanding Human Nature. (邦題:人間知の心理学) Translated by Wolfe, W. B. New York: Greenberg, Publisher, Inc. p20
アドラーが最終的に、目標は自ら主体的に掴み取ることができるものであり、変化するものであると考えたように、私たちも自らの究極目標を意識し、必要に応じて再考する余地があるのかもしれない。
※ 究極目標についてもっと知りたい方はぜひ以下動画をご覧ください。岩井先生が自身の究極目標を変えたエピソードも登場します。