現在、アドラーカウンセラー養成講座に参加している。その中で得た気づきの1つが、「アドラー心理学は理学ではなく工学である」ということだ。
『アドラー心理学教科書 -現代アドラー心理学の理論と技法-』に次のような一節がある。
アドラーがめざしたのは、人間の本性を、科学的というよりは人間的に理解することであり、人間を援助するうえで必要な、具体的で実践的な知を集積することであった。(E.スレイター)
人間でありながら、どうすれば幸福になれるか。この答を発見することがアドラー心理学の究極の存在理由です。
人間について知ることが目的ではありません。一人でも多くの人を幸福にするのが目的です。アドラー心理学の理論は、その目的のために役立つかぎりにおいて存在理由があります。
抽象的な原因論よりも、実践上の技術を重んじます。「なぜこうなったか」よりも「どうすれば解決できるか」が課題です。アドラー心理学は、言わば理学でなくて工学です。 技法は、有効なものであればなんでもどしどしとりいれるので折衷的です。『アドラー心理学教科書 -現代アドラー心理学の理論と技法-』p20
講師の岩井先生は、アドラー心理学のカウンセリングに用いられる技法を「いいとこ取り」だと表現する。例えば、講座でくり返しトレーニングを積んでいる「感覚タイプの観察」は NLP からの借用だ。
ただし、原因論と相性のいい技法など、アドラーの思想・理論に相容れないものもある。逆に言えば、共同体感覚の方向性に沿い、アドラーの思想・理論に合うものはどんどん取り入れて OK なのだ。
この話を聞き、私は大きな魅力を感じた。なぜなら、このアプローチが実にプラグマティックだからだ。頭でっかちにならず、人々が勇気づけられ、前進するために役立つことであれば OK だという割り切りは、私の性に合っている。
また、世の中には優れた数多くの技法・実践があり、「アドラー派」という枠にとらわれずにそれらを活用できる点も魅力的だ。
私は10年以上アドラーを学んできたが、アドラー信者ではない。アドラーだけが全てだとも思っていない。アドラーを基盤としつつ、独自のアプローチを追求できる拡張性に面白さを感じる。それは、ある種の解放感をもたらした。
同書には、さらに示唆に富む記述がある。
アドラー心理学は、体系化された常識です。〔…〕アドラー心理学は、わかってみればあたりまえのことばかりでできています。コロンブスの卵の集まりです。真理とは、たぶん、偉大な平凡さのことなのでしょう。
『アドラー心理学教科書 -現代アドラー心理学の理論と技法-』p20-21
今回のカウンセリング講座を通じて、アドラーの基本的な技法を学びつつ、他の優れた実践にも学び、独自の “アドラーカウンセリング” を築いていければと思う。アドラー心理学の工学的アプローチは、まさに実践と創造の場を私たちに提供してくれているのだ。