【アドラー心理学】課題の分離をわかりやすく徹底解説。本当の意味とは?

アドラー心理学
ゆるい
ゆるい

こんにちは、アドラー心理学を哲学的に研究している、あつくてゆるい(@atsukuteyurui)です。

今やアドラー心理学の代名詞とも言える「課題の分離」という考え方。

ただ、実は「課題の分離」はアドラーが提案した話でもないし、非常に誤解されている概念でもあるんです。

大学院の研究でアドラーの原著を読み込んできた筆者が、アドラー自身の思想を踏まえ、「課題の分離」の本当の意味を解説していきます。


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「課題の分離」の本当の意味

「課題の分離」とは?

課題の分離とは?

課題の分離は、家庭・学校・職場などで起こった問題について、「結果を最終的に引き受ける人はだれか」を考え、課題の一番の当事者(誰の課題であるか)を判断する方法です。


ただし、「課題の分離」の適用には大事なポイントがありますので、この記事ではそれらについても詳しく書いていきます。

きらら
きらら

「課題の分離」って具体的にはどんな感じ?



例えば、家庭において「子どもが宿題をしない」という問題があるとしましょう。


そのとき、その子の親は、

・イライラして怒る
・自分の力不足を嘆く
・子どもの宿題を代わりにやってあげる
・学校の指導が行き届いていないと文句を言う


みたいな対応を取るかもしれません。





けど、ちょっと待って!


このとき「課題の分離」を使って「宿題をしない」のはだれの課題であるか?を考えるところから始めてみるわけです。


課題の分離の1例。宿題をしないのは誰の課題であるかを考える。



だれの課題かを判断するには、行為の最終的な結果を引き受けるのは誰か?を問います。


今回の宿題のケースでは「宿題をしない」という問題とされる行動の結果を引き受けるのは、親でも先生でもなく、子どもです。

その行為の結果をだれが最終的に引き受けるか?を考えることで、だれの課題であるかを判定する。


よって、「宿題をしない」のは「子どもの課題」であると判断されるのです。





そして、「子どもの課題」である限り、周りの人間は課題を分離し、基本的には本人に任せ、過剰な干渉は避けるようにします。

「宿題をしない」のは子どもの課題なので、親や先生は課題を分離し、本人に任せるべし。






ちなみに、最初に見た親の以下のような行動…

・イライラして怒る
・自分の力不足を嘆く
・子どもの宿題を代わりにやってあげる
・学校の指導が行き届いていないと文句を言う


これらは、親が子どもの課題に土足で踏み込んでおり、「課題の分離」ができていない状態であると言えます。


このような指導をアドラー心理学では(そしてきっとアドラー自身も)甘やかし・過保護・過干渉であり、よくないと判断をするでしょう。



きらら
きらら

なるほど!
他人の課題に土足で踏み込むようなことがあれば、それは甘やかし・過保護・過干渉ということになるんだね。

ゆるい
ゆるい

そう。

アドラーは、
「甘やかされた人は評判が悪い。よかったことは一度もない」(『生きる意味を求めて』A・アドラー著 岸見一郎訳)
と言っているくらい、甘やかしには厳しい目を向けている。

とにかくアドラー心理学では甘やかし・過保護・過干渉などに厳しい目を向けていることを知っておくといいよ。

そして、「課題の分離」というのは、そうした状態に陥ること防ぐための技法だということなんだ。

「課題の分離」ができないとどんな問題が起こるのか?

きらら
きらら

他人の課題に土足で踏み込むんで、甘やかし・過保護・過干渉になると具体的にはどんな問題が起こるの?




SMILEというアドラー心理学の講座のテキストには以下の4つの問題点が指摘されています。


親が子どもの課題に口を出すと、次の4つの弊害が生じます。
1)子どもが自分の力で問題を解決する能力を伸ばせなくなり、自信を失う。
2)子どもが依存的になって、責任を親に押し付けようとする。
3)子どもが感情的に傷つけられ反抗的になる。
4)親が忙しくなる。

『SMILE 愛と勇気づけの親子関係セミナー』テキスト p55


これは親子関係の視点で書かれていますが、「先生と生徒」「上司と部下」もそうですし、年齢や立場の上下関係がなくても「課題の当事者と協力者」という関係が成り立つならば同じことが言えます。


課題を分離せず、甘やかしや過干渉になった場合、相手は自分で問題を解決する力を伸ばせないだけでなく、依存的になったり、傷つけられたと感じたりするのです。


【超重要】「課題の分離」から「共同の課題へ」

さて、大事なのはむしろここからなのですが「課題の分離」には続きがあります。


それは「他者の課題」を「共同の課題」にして、部分的に引き受けるという考え方です。




つまり「課題を分離」したからと言って、完全にノータッチで本人に任せましょう(&すべては自己責任!)という話ではなく、


困っているなら助け合おうよ!


と考えるわけです。




先の例だとしたら、宿題をするのは子どもの課題なので基本は本人に任せつつ、「困ったことがあれば相談に乗るよ。応援しているよ」と伝えておきます。


そして、子どもが実際に相談をしてきたときに、内容に応じては親が子どもの「宿題をする」という課題を「共同の課題」として部分的に協力することができるのです。

課題の分離はしつつ、協力できることはする。共同の課題という考え方が大事。



このとき、どんな協力ならOKで、どんな協力ならNGかは状況に応じるので一概には言えません。


ただ、基本的には相手から実際に相談があったとき、最大限相手の力を信じて必要最低限のサポートとなることが大切です。


これが「課題の分離」→「共同の課題」の考え方です。


ゆるい
ゆるい

なお、相談されたら、必ず「共同の課題」にする必要があるというわけではありません。
例えば、相手が過剰なお願いをしてきた場合で、折り合いがつかない場合は「共同の課題」にする必要はありません。

また、課題の当事者が悪い結末を引き受け、失敗から学ぶ経験も必要であると、アドラー心理学では考えます。

「課題の分離」は誤解されがち!?

え!課題の分離って、

“相手の課題に一切干渉する必要はないよ!嫌われる勇気をもち、他人の課題は放っておいて、自分の課題だけ考えて生きて行こうよ!”

みたいな意味じゃないの?



これは非常によくある誤解なのですが、そのような意味ではまったくないことを強調しておきます。





しかし、課題の分離(および「嫌われる勇気」)がこれだけ流行ったのは、「あなたはあなた、私は私」という、個人主義的な思想としてアドラー心理学が受け入れられた面を否定できないように思います。




実際『嫌われる勇気』には、


「他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない」(『嫌われる勇気』岸見一郎著 p150)


とかなり印象的に書かれています。



その後、「課題の分離は、対人関係の最終目標ではありません。むしろ入り口なのです」(『嫌われる勇気』岸見一郎著 p153)とも一応書かれてはいますが…


なるほど、今まで自分は「他人の課題」に振り回されて生きてきたんだ!
嫌われる勇気をもって、他人を切り捨てよう。
そして「自分の課題」に集中して、自分の人生を生きて行こう!


と読んだ人が思っても、まったく不思議ではありません。




またこのように考えることで、しがらみから解放されて本当の自分を生きれるようになった!と感じることも実際あるとは思います。


しかし、それはアドラーの思想なのか?と問われると、非常に疑問です。




なぜなら、課題の分離…というよりもアドラー心理学はそもそも、他者と共に生き、他者とよりよい形で協働・協力することを目指しているからです。


なので、課題の分離をした結果、個人と個人がほどよい距離感になるのよいのですが、バラバラになってしまうのであれば、それはアドラーの目指した世界ではありません。




アドラーの目指した世界については、アドラー自身の言葉をたよりに、以下の記事にかなり詳しく書いていますが…


シンプルにまとめると、

アドラー
アドラー

人間は、他者とつながりあって、共に生きていく生き物。
人と人とが共に生きていく運命にあるとするならば、自分勝手にはならず、他者に関心をもち、よりよい協力・助け合いの関係を目指そう!



というのが、アドラーが基本的な主張です。


そして、こうした基本的な考え方の上に「課題の分離」があるわけです。


つまり「課題の分離」とは、個人の個性や生き方を尊重しつつ、よりよい協力・助け合いの関係を目指す技法であり、個人をバラバラにして身勝手に生きることを推奨するものでは全くないのです。


ゆるい
ゆるい

なお「課題の分離」はアドラー本人の提唱した方法ではありません。したがって、アドラー自身の書いた本を読んでも「課題の分離」という言葉は一切出てきません。

課題の分離は、アドラーの弟子ドライカースが著書の中で漠然と表していたことを、野田俊作氏が「課題の分離」→「共同の課題」とまとめたものです。

【参考】野田俊作の補正項(2017/02/11)

「課題の分離」→「共同の課題」の具体的な手順と注意点

ゆるい
ゆるい

ここからは、
「課題の分離」→「共同の課題」
という技法の手順と注意点について、より具体的に書いていきます。

1. だれの課題であるかを考える(課題を分離する)

何か問題に気づいた時、まず「だれの課題であるか」を考えます。


そのために「行為の最終的な結果を引き受けるのはだれか?」と問います。




なお「課題」はすべてだれか1人に帰属すると考えるのが原則。


ただ、現実には課題が複数の人に帰属するように見えること、もしくは誰にも帰属しないように見えることもあるように思えます。


そのときは、まずは細かく問題を分けていくことが大事になるかもしれません。


また、事前の責任範囲や仕事の分担が細かく決められていないことに、そもそもの問題がある場合もあるでしょう。


ゆるい
ゆるい

アメリカでは「課題の分離」を「誰の責任か (Who’s Responsibility?)」と考えるようです。

だれの課題か見えにくい場合は、責任の所在がはっきりしないことの裏返しだと言えるでしょう。
(日本人はそもそも、ここら辺の段階でつまずいているケースも多そうですよね…)

【参考】野田俊作の補正項(2016/02/21)

2. 共同の課題として考える

共同の課題として考える上では、以下の3つの手続きを踏みます。

  1. 言葉に出して、相談・依頼する。
  2. 共同の課題にするか討議する。
  3. 共同の課題として取り上げれば、協力して解決策を探す。

【参照】『SMILE 愛と勇気づけの親子関係セミナー』テキスト p61


重要なのは、課題の当事者から相談や依頼があって、初めて共同の課題に向けて動き出すという点です。


逆に言うと、課題の当事者が黙っている限りは、本人に任せることになります。


ゆるい
ゆるい

これは私の見解ですが、実際は待っているだけでは本人から言い出せないこともあるでしょう。
なので「大丈夫?困ってたら相談してね」みたいな感じで、声をかけることは大事になると思います。



また、相談・依頼があったからと言って必ずしも「共同の課題」にする必要はないです。


「それは、あなた個人の課題だから、独力で解決してください」などと断ってもよいですし、「失敗から学ぶ」ということをあえて選ぶことも時には必要だと考えます。





以下は「課題の分離」→「共同の課題」の具体例です。

「課題の分離→共同の課題」の具体的事例。

3. 共同の課題として引き受けたら、責任をもって取り組む

「個人の課題」を「共同の課題」として一度引き受けた限りは、きちんと責任をもって取り組みます。


ただし、重要なのは「協力者が解決しない」という点です。


つまり、あくまでも本人の自力が中心であり、サポートは必要最低限にすることが大切なのです。




サポートの1つのアイデアとして、ブレインストーミングはどうでしょうか。


「どうしたらいいか一緒に考えてみようか?」とたずね、本人主導でアイデアをできるだけ多く出します。


その中で、できそうなことを相手に選んでもらうことがいいかもしれません。


また、アドバイスをするにしても断定的に「〜した方がいい」と伝えるのではなく「自分の経験から言うと、〜が役に立つと思うよ」などと1つの意見として伝えてもいいかもしれません。


ゆるい
ゆるい

「相手は自分の力で解決する力がある!」
と信じることが、とても大事だと感じます。

注意点1 対等のパートナーとして共に取り組む

「課題の分離」→「共同の課題」を考える上での1つ目の注意点は、対等のパートナーとして共に取り組むことです。


「親が子を」「上司が部下を」「先生が生徒を」上から指導するのではなく、一緒に考え、一緒に解決することが大切です。




アドラーの弟子ドライカースは、「縦の関係」ではなく「横の関係」を目指すことを説きます。


年齢や立場が違っても「横の関係」として協力的に進めていくことが大切なのです。


ゆるい
ゆるい

「アドラー心理学では〇〇と考えるんですよ」みたいにアドラー心理学の知識としてアドバイスをすることも、「私は知っていて、あなたは知らない」と指導的な関係に陥ってしまい、よくないとされているようです。

【参照】野田俊作の補正項(2017/02/16)

注意点2 個人がそもそも課題を引き受けすぎている場合

2つ目の注意点は、個人がそもそも引き受けるべき量ではないものを引き受けている場合の考え方です。


そして、その場合「課題の分離」→「共同の課題」というプロセスだけでは対処できないと感じます。




例えば、家庭における子育ての負担が母親に偏っていて、結果として家庭内の問題が起こったとします。


これはそもそもの仕事の分担の時点で問題がある可能性があります。(こういうケースは職場でも非常に多いですよね)


暗黙であったとしても本人が一度引き受けた限り「本人の課題」であるという見方もあるでしょう。


しかし、明らかに負担が偏っている場合は、「課題の分離」→「共同の課題」とは別に会議を開くなどして、課題の分担を見直すことが必要となるでしょう。

ゆるい
ゆるい

アドラー心理学の「よりよい共同・協力を目指す」という原則で考えれば自ずと答えは出てきます。

まとめ ー 「課題の分離」の可能性と限界は?

この記事では、本当の「課題の分離」とは?というテーマで書いてきました。


まとめると以下の通りです。

本当の「課題の分離」とは?


・「課題の分離」は家庭・学校・職場などで起こった問題について、「結果を最終的に引き受ける人はだれか」を考え、課題の一番の当事者(だれの課題であるか)を判断する方法

・「課題を分離」したからと言って、完全にノータッチで本人に任せましょう(&すべては自己責任)という話ではない
→相手の課題をサポートする「共同の課題」も必ずセットで理解する




最後に「課題の分離」の可能性と限界について書きます。




まず「課題の分離」→「共同の課題」が使えるのは、あなたに主導権(自己決定の余地)があり、「相談的枠組み」「共同的な関係」になれるときに限ります。


つまり、以下の場合には「課題の分離」の考え方はとても役立つでしょう。

課題の分離が使える場合(可能性)

a) 相手とある程度フラットな関係で、相手から支援をお願いされた場合
b) 相手とある程度フラットな関係で、あなたから支援をお願いする場合

→依存関係・過干渉に陥らずに適度な距離を保ちながら協力関係を築ける

c) 親や教師などあなたが支援する側であるが、相手と関係がうまくいっていない場合

→すぐには「共同の課題」まで進まないかもしれないが、「課題の分離」をすることで、適度な距離を保ちながら協力関係を築き、関係改善を目指せる



一方、以下のように、あなたに主導権(自己決定の余地)がなく、「相談的枠組み」「共同的な関係」になれない場合は「課題の分離」は使えません。


課題の分離が使えない場合(限界)

d) あなたの方が相手より立場的に弱く、半強制的に支援するよう依頼された場合

例:上司から手伝わないとクビにするぞと脅されている場合


e) あなたの方が相手より立場的に弱く、過干渉を受けている場合

例:上司にいつも仕事を監視され、文句を言われる場合



以上のようなことで苦しんでいる場合は、「課題の分離」→「共同の課題」という流れに持っていくのは非常に困難です。



仮にこのようなケースで

あなたの課題は私には関係ない!
私の課題なんだから放っておいて!
(嫌われる勇気!)


みたいにしたとしたら、下手すりゃ他者と絶縁することとなり、アドラーの目指す協働・協力の世界からは遠ざかります。
(荒療治になることも少なくないかもしれませんが…)






ただ、実際に多くの人が「嫌われる勇気」「課題の分離」を求めたのは、立場的に上の人間からの過干渉に苦しんでいるからではないでしょうか?


確かにそのような場合でも、「課題を切り分ける」という考え方そのものに意味がないとは言いません。


余分なストレスが減ったり、当たり障りなく進めることで楽になるという面はあるとは思います。


しかし、それでも強調しておきたいのは課題を分離して、個人同士がバラバラになることは、アドラーの目指した世界ではないということです。




では、上司からの干渉に苦しんでいる場合、アドラーなら何と言うだろう?



想像するに、相手が怖い上司だろうが、大嫌いな親だろうが、勇気を出して、関係を見直してもらえるよう提案しなさいと言うと思います。


これは心理学でもなんでもないと思いますが。


それに、そこまでして他者と関係を築くべきなのか?という話もあるでしょう。




けれどもアドラーの思想はあくまでも理想的で、よりよい協働・協力の関係に向かっていくことを提案します。


決して、人と人とをバラバラにすることではないのです。


このことは、「課題の分離」を考える上でも絶対に忘れてはならないことだと、私は考えます。



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