\この記事を読むメリット/
「“課題の分離”をさらにくわしく学びたい」
「“課題の分離”ってなんか冷たく感じる…」
「“課題の分離”をしたいけど、うまくいかない…」
そんなあなたへ。アドラー研究者が「課題の分離」を他サイトよりも、わかりやすく&くわしく解説。この記事を読むだけで「課題の分離」を専門家レベルで理解したも同然です。
今やアドラー心理学の代名詞ともいえる「課題の分離」。
ただ「課題の分離」はアドラー本人が提案した話ではないってご存知でしたか?(アドラー本人が書いた本を読んでも「課題の分離」はまったく出てきません1)
また「課題の分離」は、非常に多くの人に誤解されている概念でもあるんです。この記事では「なんだか冷たくない?」と誤解されがちな課題の分離について、丁寧にお伝えしていきます。

この記事に出会っていただき、心より感謝いたします。執筆者のあつくてゆるい(@atsukuteyurui)と申します。この記事を読んでくださったあなたに「課題の分離」を今すぐ役立て、よりよい人生へとつなげてもらえるよう、心をこめて書いていきます。もし難しいところや、質問などあればお問い合わせからお気軽にご連絡ください。精一杯対応させていただきます。
✔︎ 記事の信頼性
筆者のプロフィールは以下の通り。アドラーカウンセラーにも弟子入りし、アドラー心理学の勉強&実践を継続しています。

課題の分離をわかりやすく解説。冷たいのか?コツは?
「課題の分離」の基礎・基本

「課題の分離」とは?
課題の分離とは、身のまわりで起こるさまざまな問題について、「結果を最終的に引き受ける人はだれか」を考え、課題の一番の当事者(だれの課題であるか)を判断する方法
「課題の分離」がどんな感じか、具体的に見ていきます。たとえば「子どもが宿題をしない」という問題があるとします。このときその子の親は、

- イライラして怒る
- 自分の力不足を嘆く
- 子どもの宿題を代わりにやってあげる
- 学校の指導が行き届いていないと文句をいう
みたいに対応するかもしれません。けど、ちょっと待って!このとき「課題の分離」では「宿題をしない」のはだれの課題か?を考えます。

だれの課題かを判断するには、最終的な結果を引き受けるのはだれか?を問います。今回の宿題のケースでは「宿題をしない」ことの結果を引き受けるのは、親でも先生でもなく、子どもです。

よって「宿題をしない」のは「子どもの課題」だと判断されるのです。そして「子どもの課題」である限りまわりの人は課題を分離し、基本的には本人に任せ、過剰な干渉は避けるようにします。

ちなみに、最初にみた親の行動…

- イライラして怒る
- 自分の力不足を嘆く
- 子どもの宿題を代わりにやってあげる
- 学校の指導が行き届いていないと文句をいう
これらは、親が子どもの課題に土足で踏み込んでおり「課題の分離」ができていません。このような指導をアドラー心理学では甘やかし・過保護・過干渉であり、よくないと判断します。

なるほど!他人の課題に土足で踏み込むようなことがあれば、それは甘やかし・過保護・過干渉ということになるんだね。

アドラーは「甘やかされた人は評判が悪い。よかったことは一度もない2」といいます。
アドラー心理学では甘やかし・過保護・過干渉は断固として反対することを知っておきましょう。「課題の分離」は、そうした状態に陥らないようにする技法なのです。
「課題の分離」ができないとどんな問題が起こるのか?

他人の課題に土足で踏み込んで、甘やかし・過保護・過干渉になると具体的にはどんな問題が起こるの?
SMILEというアドラー心理学の講座のテキストには、4つの問題点が指摘されています。
親が子どもの課題に口を出すと、次の4つの弊害が生じます。
『SMILE 愛と勇気づけの親子関係セミナー』テキスト p55
1)子どもが自分の力で問題を解決する能力を伸ばせなくなり、自信を失う。
2)子どもが依存的になって、責任を親に押し付けようとする。
3)子どもが感情的に傷つけられ反抗的になる。
4)親が忙しくなる。
ここでは親子関係について書かれていますが、「先生と生徒」「上司と部下」など、年齢や立場の上下関係がなくても「課題の当事者と協力者」という関係が成り立つならば同じことがいえます。
課題を分離せず、甘やかしや過干渉になったとき、相手は自分で問題を解決する力を伸ばせないだけでなく、依存的になったり、傷つけられたと感じたりするのです。
「課題の分離」は冷たいのか?

【超重要】「課題の分離」から「共同の課題へ」
さて、大事なのはむしろここからです。実は「課題の分離」にはつづきがあります。それは「他者の課題」を「共同の課題」にして、部分的に引き受けるという考え方です。
つまり「課題を分離」したからといって、完全にノータッチで本人に任せましょう(&すべては自己責任)という話ではなく「困っているなら助け合おうよ!」と考えるわけです。
さっきの例では、宿題をするのは子どもの課題。なので基本は本人に任せつつ、「困ったことがあれば相談に乗るよ。応援しているよ」と伝えておきます。
そして、子どもが実際に相談をしてきたときに、内容に応じては親が子どもの「宿題をする」という課題を「共同の課題」として部分的に協力することができるのです。

このとき、どんな協力ならOKで、どんな協力ならNGかは状況に応じるので一概にはいえません。
ただ、
- 基本的には相手から実際に相談があったとき
- 最大限相手の力を信じて必要最低限のサポートとなること
というポイントを押さえておきましょう。これが「課題の分離」→「共同の課題」の考え方です3。
「課題の分離」は誤解されがち!?


え!課題の分離って、”相手の課題に一切干渉する必要はないよ!嫌われる勇気をもち、他人の課題は放っておいて、自分の課題だけ考えて生きていこうよ!”みたいな意味じゃないの?
これはとてもよくある誤解なのですが、そのような意味ではまったくありません。しかし、課題の分離(および『嫌われる勇気』)がこれだけ流行ったのは、「あなたはあなた、私は私」という、個人主義的な考え方としてアドラー心理学が受け入れられた面は否定できません。
実際『嫌われる勇気』には、
「他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない」
『嫌われる勇気』岸見一郎著 p150
とかなり印象的に書かれています。
その後、
「課題の分離は、対人関係の最終目標ではありません。むしろ入り口なのです」
『嫌われる勇気』岸見一郎著 p153
とも一応書かれてはいますが…

なるほど、今まで自分は「他人の課題」に振り回されて生きてきたんだ!
嫌われる勇気をもって、他人を切り捨てよう。そして「自分の課題」に集中して、自分の人生を生きて行こう!
と読んだ人が思っても、不思議ではありません。またそう考えることで、しがらみから解放されて本当の自分を生きれるようになった!と感じることも実際あるとは思います。
しかし、それはアドラーの思想なのか?と問われると、非常に疑問です。なぜなら、課題の分離…というよりもアドラー心理学はそもそも、他者と共に生き、他者とよりよい形で協働・協力することを目指しているからです。
アドラー心理学はそもそも、他者と共に生き、他者とよりよく協働・協力することを目指している
→個人同士がバラバラになるのは、アドラーの考え方とは真逆!!
この大前提の上に「課題の分離」はあるわけです。なので、課題の分離によって、個人と個人がほどよい距離感になるのはOK。しかし、バラバラになってはNG…。
「課題の分離」は、個人の個性・生き方を尊重しつつ、よりよい協力・助け合いの関係を目指す技法。個人をバラバラにして身勝手に生きることを推奨するものではないのです。

「課題の分離」を推す人は、アドラー思想を“個人主義”だとして誤解しているケースがとっても多いです。この記事を読んでくださったみなさんは、アドラーは決してそんなことを言っていないんだよ!ということを持ち帰っていただけるとうれしいです。
▼アドラーの目指した世界をもっと知りたい人はこちらの記事がおすすめ
「課題の分離」→「共同の課題」のコツは?(具体的な手順と注意点)

ここからは「課題の分離」→「共同の課題」という技法の手順と注意点について、より具体的に書いていきます。
1. だれの課題であるかを考える(課題を分離する)

なにか問題に気づいたら「だれの課題であるか」「行為の最終的な結果を引き受けるのはだれか?」と問います。「課題」はすべてだれか1人に帰属すると考えるのが原則。
ただ、現実には課題が複数の人に帰属するように見えること、もしくはだれにも帰属しないように見えることもあるでしょう。このとき、事前の責任範囲や仕事の分担がこまかく決められていないことに、そもそもの問題があることが多いです。

アメリカでは「課題の分離」を「誰の責任か (Who’s Responsibility?)」と考えるようです。
だれの課題か見えにくい場合は、責任の所在がはっきりしないことの裏返しだと言えるでしょう。(日本人はそもそも、ここら辺の段階でつまずいているケースも多そうですよね…)
2. 共同の課題として考える

共同の課題には、次の3ステップがあります。
- 言葉に出して、相談・依頼する。
- 共同の課題にするか討議する。
- 共同の課題として取り上げれば、協力して解決策を探す。
【参照】『SMILE 愛と勇気づけの親子関係セミナー』テキスト p61
重要なのは、課題の当事者から相談や依頼があって、初めて共同の課題に向けて動き出すというところ。逆にいうと、課題の当事者がだまっている限りは、本人に任せることになります。

これは私の見解ですが、実際は待っているだけでは本人から言い出せないこともあるでしょう。
なので「大丈夫?困ってたら相談してね」みたいな感じで、声かけはあってよいと思います。
また、相談・依頼があったからといって必ずしも「共同の課題」にする必要はないです。
「それは、あなた個人の課題だから、独力で解決してください」などと断ってもよいですし、あえて “失敗から学ぶ” ことも、ときには必要です。以下は「課題の分離」→「共同の課題」の具体例です。
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3. 共同の課題として引き受けたら、責任をもって取り組む

「個人の課題」を「共同の課題」として一度引き受けた限りは、きちんと責任をもって取り組みます。
ただし、重要なのは「協力者が解決しない」という点。つまり、あくまでも本人中心。サポートは必要最低限にすることが大切です。
サポートの1つのアイデアとして、ブレインストーミングはどうでしょうか。「どうしたらいいか一緒に考えてみようか?」とたずね、本人主導でアイデアをできるだけ多く出します。その中で、できそうなことを相手に選んでもらうといいでしょう。
また、アドバイスをするにしても断定的に「〜した方がいい」と伝えるのではなく「自分の経験から言うと、〜が役に立つと思うよ」などと1つの意見として伝えてもいいかもしれません。

「相手は自分の力で解決する力がある!」と信じることが、とても大事です。
注意点1 対等のパートナーとして共に取り組む

「課題の分離」→「共同の課題」の1つ目の注意点は、対等のパートナーとして共に取り組むことです。
「親が子を」「上司が部下を」「先生が生徒を」上から指導するのではなく、いっしょに考え、解決することが大切です。
アドラーの弟子ドライカースは、「縦の関係」ではなく「横の関係」を目指すことを説きます。年齢や立場が違っても「横の関係」として協力的に進めていくことが大切なのです。

「アドラー心理学では〇〇と考えるんですよ」みたいにアドラー心理学の知識としてアドバイスをすることも、「私は知っていて、あなたは知らない」と指導的な関係に陥ってしまい、よくないとされています。
注意点2 個人がそもそも課題を引き受けすぎている場合

2つ目の注意点は、個人がそもそも引き受けるべき量ではないものを引き受けている場合です。このとき「課題の分離」→「共同の課題」というプロセスだけでは対処できないと感じます。
たとえば、家庭での子育ての負担が母親にあまりに偏っており、結果として家庭内の問題が起こったとします。これはそもそもの仕事の分担の時点で問題がある可能性があります。(こういうケースは職場でもとても多いですよね)
暗黙であったとしても本人が一度引き受けた限り「本人の課題」であるという見方もあるでしょう。しかし、明らかに負担が偏っている場合は、そもそもの課題の分担を見直すことが必要となるでしょう。

アドラー心理学の「よりよい共同・協力を目指す」という原則で考えれば自ずと答えは出てきます。
「課題の分離」を学ぶためのおすすめ本


「課題の分離」をもっと学んでみたい!
そんなあなたに、まずはやっぱり『嫌われる勇気』がオススメです。
『嫌われる勇気』は言い過ぎなところはあるし、「共同の課題」について触れていないという問題点はあります。
しかしそうしたことを踏まえても「他人の課題を引き受けてしまい、いろいろ面倒くさいんだ…」という悩みを抱える人に対して、「あなたは、あなた自身の人生を生きていいんだ!」という勇気をガツン!と与えてくれる本です。
筆者は『嫌われる勇気』はまさに“劇薬”のような本だと思っています。

『嫌われる勇気』はもう読んだよ!
そんなあなたは『もしアドラーが上司だったら』はいかがでしょうか?
この本は、仕事が上手くいかずに部下(リョウくん)が、上司(ドラさん)のサポートで成長していくという物語形式の中で、アドラー心理学を日常に活かしていく方法がわかりやすく描かれています。この本の第八章では「課題の分離」についても、やさしくわかりやすく説かれています。
なお『もしアドラーが上司だったら』Amazonの“聴く読書” Audible(オーディブル)で聴き放題で聴けます。
▼Audible(オーディブル)ってなに?という人はこちらの記事もチェック
残念ながら『嫌われる勇気』は“聴き放題”にはないのですが、以下のアドラー本が聴き放題ラインナップに入っています。
▼オーディブル“聴き放題”対象のアドラー本(23.2.19 現在)
今日が人生で一番若い日。「アドラー心理学をもっと学んでみたい!」という方は、ぜひ以下のAmazonリンクから無料体験に登録し、アドラーの知恵を人生へと活かしていかれてください。
オーディブルは30日間無料で体験できます。“聴く読書”は今の生活はそのままに、読書時間を生み出します。自信を持ってオススメします。
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まとめ ー 「課題の分離」の可能性と限界は?

課題の分離をわかりやすく解説。冷たいのか?コツは?というテーマで書いてきました。
まとめると以下の通りです。
- 課題の分離とは、身のまわりで起こるさまざまな問題について、「結果を最終的に引き受ける人はだれか」を考え、課題の一番の当事者(だれの課題であるか)を判断する方法
- 「課題を分離」したからといって、完全にノータッチで本人に任せましょう(&すべては自己責任)という話ではない
→相手の課題をサポートする「共同の課題」も必ずセットで理解する
最後に「課題の分離」の可能性と限界について書きます。
まず「課題の分離」→「共同の課題」が使えるのは、あなたに主導権(自己決定の余地)があり、「相談的枠組み」「共同的な関係」になれるときに限ります。
つまり、以下の場合には「課題の分離」の考え方はとても役立つでしょう。
a) 相手とある程度フラットな関係で、相手から支援をお願いされたとき
b) 相手とある程度フラットな関係で、あなたから支援をお願いするとき
→依存関係・過干渉にならず、適度な距離を保ちながら協力関係を築ける
c) 親や教師などあなたが支援する側であるが、相手と関係がうまくいっていないとき
→すぐには「共同の課題」まで進まないかもしれないが、「課題の分離」をすることで、適度な距離を保ちながら協力関係を築き、関係改善を目指せる
一方、以下のように、あなたに主導権(自己決定の余地)がなく、「相談的枠組み」「共同的な関係」になれない場合は「課題の分離」は使えません。
d) あなたの方が相手より立場的に弱く、半強制的に支援するよう依頼された場合
例:上司から手伝わないとクビにするぞと脅されている場合
e) あなたの方が相手より立場的に弱く、過干渉を受けている場合
例:上司にいつも仕事を監視され、文句を言われる場合
以上のようなことで苦しんでいる場合は、「課題の分離」→「共同の課題」という流れに持っていくのは非常に困難です。仮にこのようなケースで

あなたの課題は私には関係ない!
私の課題なんだから放っておいて!
(嫌われる勇気!)
みたいにしたとしたら、下手すりゃ相手と絶縁することになり、アドラーの目指す協働・協力の世界からは遠ざかります。(荒療治になることもあるかもしれませんが…)
ただ、実際に多くの人が「嫌われる勇気」「課題の分離」を求めたのは、立場的に上の人間からの過干渉に苦しんでいるからではないでしょうか?
確かにそのような場合でも、「課題を切り分ける」という考え方そのものに意味がないとはいいません。余分なストレスが減ったり、当たり障りなく進めることで楽になるという面はあるとは思います。
しかし、それでも強調しておきたいのは課題を分離して、個人同士がバラバラになることは、アドラーの目指した世界ではないということです。

では、上司からの干渉に苦しんでいる場合、アドラーなら何というだろう?
想像するに、相手が怖い上司だろうが、大嫌いな親だろうが「勇気を出して、関係を見直してもらえるよう提案しなさい」と言うでしょう。
これは心理学でもなんでもないと思いますが。それに、そこまでして他者と関係を築くべきなのか?という話もあるでしょう。けれどもアドラーの思想はあくまでも理想的で、よりよい協働・協力の関係に向かっていくことを提案します。
決して、人と人とをバラバラにすることではないのです。このことは、「課題の分離」を考える上でも絶対に忘れてはならないことだと、私は考えます。

こんなに長い記事を最後までお読みいただいたこと、心より感謝いたします。
この記事がみなさまのこれからの人生に少しでも役立つことができたら、こんなに嬉しいことはありません。もし難しかったところ、質問などあればお問い合わせからお気軽にご連絡ください。精一杯対応させていただきます。それでは、ありがとうございました。
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