「他の人の目で見、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じる」——アドラーのこの言葉の真意を、カウンセラー養成講座で痛感した。
課題は「最近の腹立たしい体験」を聞き、フィードバックすること。同じグループの Aさんが親友から厳しく批判された体験を語り始めた。
1回目の試み。「何を言おうか」という思いに囚われ、散々戸惑った挙句に「友人の言葉で能力を否定されて、傷ついたんですね」というありきたりな言葉しか返せなかった。この瞬間、自分の中の第1の壁に気づいた。それは「自分に向いたベクトル」だ。相手の感情に寄り添うどころか、自分の言葉選びに意識が集中していた。
2回目の試み。今度は、意識的に「感情移入」を心がけた。2回目は “喩え” や “感覚的な表現” で返すということだったので、「なんか、急に冷たい水をかけられたみたいな感じでしたね」と返した。しかし、Aさんの表情に何か物足りなさが残っているのがわかった。
そして、自分の中の第2の壁が見えた。「感情移入」が、実は「自分ならどう感じるか」という自己の経験や感情を相手に投影しているだけだったのだ。確かに相手への意識は向いたものの、それはあくまで自分の感じ方の範疇を出ていない。
そこでふと気づいた。真の共感とは、単に相手に意識を向けることでも、自分の経験に基づいて相手の気持ちを推し量ることでもない。相手の独自の経験世界(プライベートロジック)に入り込み、その人の目で世界を見、その人の感覚で状況を捉えることなのだ。
アドラーが著書で語ったあの一節が蘇る。
人間を理解するのは容易ではない。個人心理学は、おそらくすべての心理学の中で、学び実践することが、もっとも困難である。〔…〕
治療自体が、協力の訓練であり、協力の試験である。真に他者に関心がある時にだけ、治療には成功する。われわれは、他の人の眼で見て、他の人の耳で聞くことができなければならない。『人生の意味の心理学(下)』A・アドラー著 岸見一郎訳 p91
アドラー心理学の「共感」は簡単ではない。他者の人生に深く関与しようとする積極的な態度であり、自己の枠組みを超えて他者の世界に踏み込む勇気が必要だ。
ちなみに講師の岩井先生は「考えすぎてはいけない」と言っていた。頭で理解しようとするのではなく、全身で相手の世界を感じ取ること。そこから生まれる予期せぬ理解の閃き、つまり「創発」が大事なのだと。
この体験から、共感することの本当の難しさと自分の課題を痛感した。相手のプライベートロジックを完璧に理解することはもちろん不可能だ。それでも、自らの壁にとらわれず、「Aさんはどう捉えたんだろう?」という問いを持ち、相手の世界に踏み込もうとする姿勢が大切だと気づいた。
また、真の共感を身につけるには、多様な人生経験を積み、継続的な練習が不可欠だろう。熟練のカウンセラーでさえ、結構外してしまうことがあるという。この事実は、共感の難しさを示すと同時に、諦めずに努力を続けることの重要性を教えてくれる。
アドラーの言葉の真意を体験的に理解し始めた今、私はこの「共感」という旅に、新鮮な気持ちで取り組もうと思う。簡単ではないが、この挑戦が、より豊かな人間関係につながると期待している。