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民主主義を育む教育について語り合う中で、学校を「小さな社会」として捉え直す視点に気づいたことは。しかし新たな疑問が浮かび上がる—理想とは何か、そして理念は人間とどのように関わり合うのか…。
雨上がりの午後、窓から柔らかな陽射しが差し込むあつゆる書房。ことはは思いつめた表情で店に入ってきた。
ことは:
あつゆるさん、ちょっと教えてほしいことがあって…。
あつゆる:
おや、ことはさん。なんだか憂鬱そうだね。
ことは:
今日、研究授業の反省会があったんです。「理想のクラスづくり」がテーマだったんですけど…。
あつゆる:
どんな話になったの?
ことは:
ベテランの西山先生は「規律と礼儀が何より大切」って力説するし、若手の田中先生は「子どもの自主性と創造性こそ最優先」って反論して。ICT担当の木村先生に至っては「デジタル・シティズンシップなくして21世紀の教育なし」なんて…。
あつゆる:
なるほど。それで?
ことは:
この前、民主主義は違う考えを認め合うものだって教えてもらいましたよね。でも…みんながそれぞれ違う「理想」を主張しすぎて、かえって議論がまとまらなくて。結局「では次回も継続審議で」で終わったんです。
(首をかしげて)民主主義って、本当に実現できるんでしょうか?
あつゆる:
その疑問、とても大切だと思うよ。
ことは:
本当ですか?
あつゆる:
実はね、デューイも同じことを考えていたんだ。「理念や理想って私たちの生活にどんな意味を持つのか」っていう、まさにことはさんが今感じている問いをね。
ことは:
デューイも?でも…どうやって答えを見つけたんですか?
あつゆる:
まずは、ことはさん自身の経験から考えてみようか。学校以外で、似たような場面に出くわしたことはない?
ことは:
あ、そういえば先週、うちの近くの駅前再開発の住民説明会に行ったんです。そこでも同じような…。
あつゆる:
どんな様子だった?
ことは:
商店街の人たちは「歩行者天国にして昔ながらの賑わいを取り戻すべき」って主張するんです。でも大型スーパーの関係者は「駐車場を拡張して車での買い物客を増やすべき」って反対して。
あつゆる:
うんうん。
ことは:
高齢者の方々は「もっとベンチを増やして休める場所を」って訴えるし、若い人たちは「インスタ映えするスポットを作れば街が活性化する」って…。「理想の街」って、結局誰の理想なんでしょう?
あつゆる:
その説明会、最後までそんな感じだったの?
ことは:
いえ、不思議なことに途中から変わったんです!
あつゆる:
どう変わったの?
ことは:
市の職員さんが「具体的にどんな課題があるか」を聞き始めたんです。そしたら、「高齢の母が買い物に行けなくて困っている」とか「子どもの通学路が危ない」とか…。最初は「私の理想」「あなたの理想」って対立してたのに、だんだん「私たちの街の問題」って言葉が増えていって…。
あつゆる:
そこにデューイの考えるヒントがあるんだよ。彼は民主主義を「コミュニティ生活そのものの理念」と考えたんだ。
ことは:
コミュニティ生活そのものの…?
あつゆる:
つまり、1つの理想が他の理想を押しのけるんじゃなくて、多様な理想が共存できる方向性を示すもの。そこで大切なのは抽象的な理想論じゃなくて、具体的な問題への向き合い方なんだ。
ことは:
でも…理想に向かおうとすると、かえって対立が深まるんじゃないですか?西山先生も木村先生も、それぞれの「理想」を掲げているから、議論がかみ合わなくて…。
あつゆる:
デューイはまさにその危険性を見抜いていたんだ。だからこそ「現実から切り離された理想」を警戒したんだよ。
ことは:
現実から切り離された理想…?
あつゆる:
デューイは、理想とは「あらかじめ定められた目的に向かって自己展開を遂げてきた」ようなものではないって。むしろ、「具体的な課題を解決するという不断の努力の中で、右往左往しながらも少しずつ進んできたもの」なんだって。
ことは:
あ!(はっとして)説明会でも、「理想の街づくり」って抽象的な話は堂々巡りだったのに、「通学路の安全」とか「お年寄りの買い物支援」とか、具体的な課題に焦点を当てたら、みんなの意見が少しずつ重なり始めたんです!
あつゆる:
デューイは、民主主義とは「ただ1つの明確な理念から始まったわけじゃない」って言ってるんだよ。
ことは:
でも…それって理想がないってことですか?理想がなければ、何を目指して頑張ればいいのか分からなくなりません?
あつゆる:
むしろ逆なんだ。デューイは「力強い願望と努力が生み出される時に、初めてコミュニティは存在できる」って言ってる。理想と人間の関係って、一方通行じゃないんだよ。
ことは:
一方通行じゃない?
あつゆる:
そう。コミュニティがあるから理想が生まれる。でも同時に、理想があるからコミュニティも形作られていく。この相互作用が、デューイの考える「理念の力学」なんだ。
ことは:
あ!思い出しました。うちのクラスでも似たような経験があったんです。年度初めに「理想の教室」について考えた時、私はきれいに整然と並んだ一斉授業型の配置がベストだと思ってたんです。
あつゆる:
それから変わったの?
ことは:
はい。実際に授業をしてみると、グループ活動の時に机を動かすのに時間がかかるし、発言も特定の子に偏っちゃって…。ある日、数学の図形の問題で「みんなで考えを共有したい」って思って、急遽コの字型に変えてみたんです。
あつゆる:
その変化でどんな違いがあった?
ことは:
驚いたことに、いつもおとなしい子が「こういう解き方もあるんじゃない?」って発言し始めたんです。それから、国語では向かい合わせにしたり、理科実験では島型にしたり…。最初の「理想の形」を捨てて、その日の課題に合わせて変えるようになりました。
あつゆる:
それで?
ことは:
するとですね、面白いことに子どもたち自身が「今日の授業では、どんな座席がいいかな」って考え始めたんです。先日なんて「先生、詩の朗読するなら、円くなった方が聞こえやすいと思う」って提案してきて。クラスの雰囲気も、みんなで学びを作っていくような感じに変わっていったんです。
あ!そういえば、研究授業の反省会でも似てるかも。西山先生の「規律重視」も田中先生の「自主性重視」も、それぞれの現場での試行錯誤から生まれた「理想」だったんですね。どちらも否定し合うんじゃなくて、場面に応じて両方必要なのかも…。
あつゆる:
その通り。デューイは、民主主義の理念とは「多様なコミュニティの理念・理想に方向性を与える限りにおいて、初めて価値を有する」って言ってるんだ。
ことは:
方向性を与える…?でも、具体的にどういう方向性なんでしょう?
あつゆる:
それが重要なポイントなんだ。デューイが言う「方向性」は、1つの正解や固定的なゴールを指し示すものじゃない。むしろ、多様な理想が対話し、互いに影響し合いながら共存できる、そんな関係性の中で進む道なんだ。
ことは:
なるほど…。西山先生の「規律」と田中先生の「自主性」が対立するのではなく、両方の視点が対話しながら、その場その場で最適な形を見つけていく…そういうことですか?
あつゆる:
そう。デューイは「民主主義の理念が実現するには、この理念自体が、人間の社会的結びつき、たとえば、家族、学校、産業、宗教というように、そのあらゆる様式に作用しなければならない」って言ってる。つまり、それぞれの場所で独自の形で実現していくものなんだ。
ことは:
でも、それぞれバラバラじゃ…。
あつゆる:
いや、バラバラに見えても、そこには共通の方向性がある。「事実としてのコミュニティから出発し」、現実に根ざした理想を育てていく。1つの理想を押し付けるんじゃなく、多様性を尊重しながらも、共に前に進む道を探していくんだ。
ことは:
少しずつ分かってきました。理想って、空から降ってくるものじゃなくて、コミュニティの中で生まれ、現実に働きかけ、また新しい形を生み出していく…。でも、それってなんだか神秘的ですね。
あつゆる:
神秘的?
ことは:
はい。説明会でも、クラスでも、人々が具体的な課題に向き合ううちに、少しずつ変わっていく。多様な理想が混ざり合って新しい何かが生まれる…。その変化の過程に、何か不思議な力が働いているような…。
あつゆる:
その「不思議な力」こそ、デューイが深く関心を寄せていたものなんだよ。
ことは:
え、本当ですか?理想には何か特別なパワーがあるんですか?
あつゆる:
そう。その力について、デューイは本当に興味深いことを言っているんだ…。
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