「悩む」から「困る」へ ― 一瞬で晴れた心の靄(もや)

徒然

仕事での人間関係で、見過ごせない出来事に出会ったのは10月の初めだった。

衝撃は想像以上に大きく、上司への相談、自分なりの意味づけ、感情の言語化など、いろいろな方法で消化を試みた。

でも気がつけば3週間以上が過ぎていたのに、まだ納得のいかない感情が心の中でくすぶり続けていた。

私は本来、物事を必要以上に思い悩むタイプではない。むしろ前向きな性格の部類だと思っている。

特に人との関係において、長い目で見れば不快な相手とは自然と距離が開いていくものだ。だから、やがて自分の前から去っていく人のことで、悶々とした時間を過ごすことは無駄だと考えている。

でも今回は違った。普段なら早めに消化できるはずの出来事が、いつまでも心に残り続けていた。そんなもやもやを一瞬で消し去ってくれたのが、この動画だ。

ここで語られているのは、「悩み」を「困り事」として見直すというシンプルな視点の転換だ。

悩みは過去に向かい原因を探そうとするが、困りごとは未来に向かって解決策を探す。悩みは自分の中に閉じこもりがちだが、困りごとは他者の知恵も借りながら対処できる。そんな本質的な違いが、静かに、でも確実に私の心に響いた。

(動画で話されていた内容を、表にまとめておく)

悩む困る
過去指向:何が原因なのかを考える未来指向:これからどう対応するかを考える
原因探しと犯人捜しに陥りやすい目的思考で具体的な解決策を探る
問題の分析に終始する課題として捉え、行動に移せる
自分の中だけで考え込む他者の知恵や協力を求められる
足りないものに意識が向くあるものを活用する発想が生まれる
意識が自分中心に閉じこもる社会的・利他的な関心が広がる
悩みに縛られ続ける知恵が湧き、自らを解放できる
「あるべき姿」と現実のギャップに苦しむ現実的な対応策を考えられる
「悩む」と「困る」のちがい

この視点を得て、改めて自分の状況を見つめ直してみた。

「私は今、何か困っているのだろうか?」

この素直な問いかけに、意外な気づきを得た。

実は自分は何も「困って」いなかったのだ。

いや、ショックな出来事があったことは事実だ。しかし、それがあったことで今の私の生活に具体的な支障は何1つ起きていない。

ただ「悩んで」いただけだったと気づいた。

その瞬間、それまで重くのしかかっていた心の負担が、まるで嘘のように消え去った。100あった心の重さが、一瞬で0になるような感覚。そんな劇的な変化を、たった1つの視点の転換だけで体験できるとは思ってもみなかった。

加えて印象的だったのは、悩みの発生についての指摘だ。

「あるべき姿」と「現実の姿」とのずれを問題として捉え、その原因や責任を追求しようとする思考パターン。ここに悩みが発生する。

けれども、「あるべき姿」を決めているのは他でもない自分自身だ。他者が自分の設定した理想に常に沿うことなど、そもそも期待すべくもない。

あるべき上司、あるべき夫or妻、あるべき友人 etc.

社会の常識としての規範はあるだろう。でも、それすら完璧な遵守を求めることは現実的ではない。自分自身だって、いつも理想通りにできるわけではないのだから。

「悩む」から「困る」へ。この小さな視点の転換をきっかけに、長く続いていた思考の堂々巡りが、まるで魔法のように終わった。まさにパラダイムシフトと呼べる体験だったと思う。

同じように思考の渦に囚われている人がいれば、ぜひこの動画を見てほしい。たった10分で、あなたの心がスッと軽くなるかもしれない。