企業の社員インタビューを記事にしていた時のことだ。録音した会話を文字に起こし、それを読みやすい記事として形にしていく。その作業の中で AI の助けを借りていた。
そんなある日、思いがけない指摘を受けた。
「この部分、なんだか AI っぽい文章ですね」
皮肉なことに、その指摘を受けた箇所は、私が最も時間をかけて推敲を重ねた部分だった。
「仕事にやりがいを感じています」「チームワークを大切にしています」
そんなどこにでもありそうな言葉を、何とか意味のある文章にしようと格闘した結果が、かえって無機質な印象を与えてしまったのだ。
一方で、質の高いインタビューの文字起こしをそのまま AI に渡して生成した文章は、驚くほど自然な仕上がりとなっていた。
この経験は、私に明確な気づきをもたらした。結局のところ、全ては元となる言葉の質にかかっていたのだ。その気づきは人間の持つ本質的な価値への問いへと、私を導いていく…。
同じ時期、私はカウンセラー養成講座に参加していた。そこで出会ったのは、場の持つ不思議な力だった。
人々が互いの存在を認め合う空間では、1つの言葉が次の言葉を誘い出し、やがて深い沈黙が訪れる。その静寂の中から、それまでにない理解が芽生えていく。ユダヤの哲学者マルティン・ブーバーが語るような、真の対話の瞬間だ。
1人の人間に向けられる多様な視線が、その人の思いもよらない一面を照らし出していく。それは決して単一の解釈に収束することのない、豊かな意味の広がりを持っていた。
感性と理解が交差する場所で、私たちは世界の意味を紡ぎ出している。そこには単なる情報処理を超えた、創造的な対話の力が宿る。
そうして生まれた言葉こそが、最も質の高い「インプット」となる。後はそれを整理し、形を整えることは、AI に任せればよい。
現代社会は、効率性と最適化を追求することに長けている。データを分析し、パターンを見出し、最短で結果を導き出すこと。
しかし、人間の持つ本質的な価値は、むしろ予測不可能な創造性の中にある。その場その瞬間でしか生まれない化学反応。思いがけない言葉との出会い。複数の視点が交差することで見出される深い洞察。
こうして私たちは、AI という鏡に映し出された自身の姿を通して、最も人間らしい瞬間とは何かを問われている。
それは最適な答えを探すことではなく、互いの存在が響き合う中で生まれるもの。そうして紡ぎ出される言葉の中にこそ、私たちの豊かさは宿るのだから。