『幸せになる勇気』を学んで、自分の人生に生かしていきたいんだけど、どんなことが書いてあるんだろう?
この記事では、名著『幸せになる勇気』から、人生に役立つ名言7つを厳選してお届け。
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【要約】『幸せになる勇気』人生に役立つ名言7選
『幸せになる勇気』は、
・アドラー心理学を研究する哲人
・生きることに悩みを抱える青年
という二人の対話形式で書かれています。
名言は、すべて哲人の台詞からの引用です。
1. まずは親が子どもを尊敬し、上司が部下を尊敬する
まずは親が子どもを尊敬し、上司が部下を尊敬する。役割として「教える側」に立っている人間が、「教えられる側」に立つ人間のことを敬う。尊敬なきところに良好な対人関係は生まれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできません。
『幸せになる勇気』岸見 一郎/古賀 史健 著 p41
教育の入り口は尊敬意外にありえないと哲人はいいます。ただし、それは「親を尊敬しろ、教師を尊敬しろ、 上司を尊敬しろ」という意味ではありません。
相手がどんな問題児であっても、尊敬する。
特定の他者ではなく、 家族や友人、通りすがりの見知らぬ人々、さらには生涯会うことのない異国の人々まで、ありとあらゆる他者を尊敬する…。
その根源にあるのは「人間への尊敬」。それは、この世界にたったひとりしかいない、かけがえのない「その人」を、変えようとも操作しようともせず、ありのままに見ることなのです。
これを聞いた青年は反発します。
しかし哲人は言います。
「そんなものは尊敬ではなく、恐怖であり、従属であり、信仰である。相手のことをなにも見ておらず、権力や権威に怯え、虚像を崇めているだけの姿である」と。
尊敬(respect)の語源となるラテン語の「respecio」には「見る」という意味があります。
つまり、まずは、ありのままのその人を見る。自分の価値観を押しつけようとせず、その人が「その人であること」に価値を置く。そこから「尊敬」は始まります。
他者を操作しようとする態度、矯正しようとする態度には、いっさいの尊敬がないのです。
誰かから「ありのままの自分」を認められた人は大きな勇気を得るでしょう。
もちろん、だからと言って、問題を抱える相手が変わるかどうかはわかりません。
しかしながら、尊敬によって、相手は「自分が自分であること」を受け入れ、自立に向けた勇気を取り戻すことになるのです。
まず「あなた」からはじめなければならない。いっさいの条件をつけることなく、どんな結果が待っていようとも、最初の一歩を踏み出すのは「あなた」なのです。
2. 人間は誰もが「わたし」という物語の編纂者である
人間は誰もが「わたし」という物語の編纂者であり、その過去 は「いまのわたし」の正統性を証明すべく、自由自在に書き換えられていくのです。
『幸せになる勇気』岸見 一郎/古賀 史健 著 p67
歴史とは、時の権力者たちの「われこそは正義なり」という論理に基づき、改竄されてきた物語。
これは、われわれ個人でも同じこと。人は過去に起こった膨大な出来事のなかから、いまの「目的」に合致する出来事だけを選択し、意味づけをほどこし、自らの記憶としています。
逆にいうと、いまの「目的」に反する出来事は消去するのです。
誰にだって、悲しい出来事もあれば挫折もあり、悔しい仕打ちにも遭っているでしょう。
けれども、過去に起きた悲劇を「教訓」や「思い出」として語る人もいれば、いまだその出来事に縛られ、 不可侵のトラウマとしている人もいます。
これは過去に縛られているのではありません。その不幸に彩られた過去を、自らが必要としているのです。
あえて厳しい言い方をするなら、悲劇という安酒に酔い、不遇なる「いま」のつらさを忘れようとしているのです。
3. 暴力とは、どこまでもコストの低い、安直なコミュニケーション手段
暴力に訴えてしまえば、時間も労力もかけないまま、自分の要求を押し通すことができる。 もっと直接的に言えば、相手を屈服させることができる。暴力とは、どこまでもコストの低い、 安直なコミュニケーション手段なのです。これは道徳的に許されないという以前に、人間としてあまりに未熟な行為だと言わざるをえません。
『幸せになる勇気』岸見 一郎/古賀 史健 著 p112
言語によるコミュニケーションは、合意に至るまでに相当な時間が必要です。
自分勝手な要求は通らず、客観的データなど、説得材料を揃える必要も出てくる。しかも、費やされるコストの割に、即効性と確実性があまりにも乏しい。
そこで議論にうんざりした人、また議論では勝ち目がないと思った人が選択するコミュニケーション手段、それが暴力です。
暴力に訴えてしまえば、時間も労力もかけないまま、自分の要求を押し通すことができる。
もっと直接的に言えば、相手を屈服させることができる。暴力とは、どこまでもコストの低い、 安直なコミュニケーション手段なのです。
これは道徳的に許されないという以前に、人間としてあまりに未熟な行為だと言わざるをえません。
暴力の「原因」として挙げられる、相手がなにを言ったとか、どんな挑発的態度をとったとか、そんなことは関係ありません。
暴力という未熟なコミュニケーションに頼ってはいけない。私たちは、もっと別のコミュニケーションを模索しなければならないのです。
面白いのが、「暴力」には「怒る、叱る」などの「暴力的なコミュニケーション」も含むと哲人は言っているところです。教育現場では「怒る」と「叱る」を区別するみたいなことを言いますが、そんなものは一緒だ!というのが哲人の意見です。
4. 問題行動が起きる「共同体」に目を向ける
教育者に求められるのは、問題行動を起こす「個人」 に目を向けることではなく、問題行動が起きる「共同体」に目を向けることです。そして個人を治療しようとするのではなく、共同体そのものを治療していくことです。
『幸せになる勇気』岸見 一郎/古賀 史健 著 p140
たとえば、ひとりの男子生徒が問題行動をくり返していたとしましょう。多くの教育者は、「この生徒をどうすればいいか?」と考えます。
ほめるのか、叱るのか、無視をするのか、あるいは別のアプローチを考えるのか。そして、個別に職員室に呼び出して、対処する。
じつは、この発想自体が間違っています。
これは彼が「悪」だったから問題行動に走ったのではなく、学級全体に蔓延する競争原理に問題があったのです。
たとえるなら、彼個人が心に肺炎を患っているのではなく、すでに学級全体が重篤な肺炎を患っていた。
その一症状として、彼の問題行動が表れたと、アドラー心理学では考えます。
それは、競争原理という名の病です。
教育者に求められるのは、問題行動を起こす「個人」 に目を向けることではなく、問題行動が起きる「共同体」に目を向けることです。
そして個人を治療しようとするのではなく、共同体そのものを治療していくことです。
例えばそれが学級だったとしたら、賞罰をやめ、競争の芽をひとつずつ摘んでいくこと。
学級から競争原理をなくしていくこ と。それしかありません。
強さや順位を競い合う競争原理は、おのずと「縦の関係」に行きつきます。勝者と敗者が生まれ、そこでの上下関係が生まれるからです。
一方、アドラー心理学の提唱する「横の関係」を貫くのは、協力原理です。
誰とも競争することなく、勝ちも負けも存在しない。他者とのあいだに知識や経験、また能力の違いがあってもかまわない。
学業の成績、仕事の成果に関係なく、すべての人は対等であり、他者と協力することにこそ共同体をつくる意味がある。
アドラー心理学は、横の関係に基づく「民主主義の心理学」なのです。
5. すべての喜びもまた、対人関係の喜びである
「宇宙にひとり」で生きる人は、悩みがない代わりに喜びもない、扁平な一生を送ることに なるでしょう。
「アドラーの語る「すべての悩みは、対人関係の悩みである」という言葉の背後には、「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」という幸福の定義が隠されているのです。
『幸せになる勇気』岸見 一郎/古賀 史健 著 p178
社会の誕生、すなわちそれは「苦悩」の誕生です。社会のなかでわれわれは、衝突、競争、嫉妬、孤独、さらには劣等感など、さまざまな苦悩にさらされる。
お母さんのお腹の中にいたころのような、静寂の日々に戻ることは、二度とかなわない。騒々しい、人間社会に生きるしかない。
他者が存在しなければ、悩みも存在しない。しかし、他者から逃れることなど絶対にできない。つまり、人間の抱える「すべての悩み」は、対人関係の悩みである。
しかしながら、すべての悩みが対人関係であるのなら、その他者との断ち切ってしまえばよいのか?他者を遠ざけ、自室に引きこもっていればよいのか?
それは、まったく違う、と哲人は言います。なぜなら、人間の喜びもまた、対人関係から生まれるからなのです。
大学院である先生が「人間は意のままにならないことがあるからこそ、生きる意味や喜びを感じる。 思い通りにならない他者だからこそ、何かを分かち合えると嬉しい。 なかなか達成できない目標だからこそ、目標達成の意欲が芽生え、達成できると喜ぶ」と言っていたのを、思い出しました。思い通りにならないからこそ、喜びが生まれるのです。
6. 人間の価値は「どんな仕事に従事するか」によって決まるのではない
人間の価値は、「どんな仕事に従事するか」によって決まるのではない。その仕事に 「どのような態度で取り組むか」によって決まるのだと。
『幸せになる勇気』岸見 一郎/古賀 史健 著 p192
分業という観点に立って考えるなら、職業に上下関係などありません。
一国の首相、企業の経営者、農夫、工場労働者、専業主婦…
すべての仕事は「共同体の誰かがやらねばならないこと」であり、われわれはそれを分担しているだけなのです。
分業について、アドラーはこんなふうに語っています。
人の価値は、共同体において割り当てられる分業の役割を、どのように果たすかによって決められる。
つまり、人間の価値は、「どんな仕事に従事するか」によって決まるのではない。その仕事に 「どのような態度で取り組むか」によってのみ決まるのです。
7. 他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放される
われわれは他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放されます。他者を愛することによってのみ、自立を成しえます。
『幸せになる勇気』岸見 一郎/古賀 史健 著 p272
愛の関係に待ち受けるのは、楽しいことばかりではありません。引き受けなければならない責任は大きく、つらいこと、予期しえぬ苦労もあります。
それでもなお、愛することができるか。どんな困難に襲われようと、この人を愛し、ともに歩むのだと決意を持っているか。その思いを約束できるか。
愛という、自分をかえりみない献身的な働きかけができたとき、人は自己中心性から解放され、自立を成しえるのです。
いかがでしたか?「アドラー心理学」の理論や用語にこだわることなく、あえて『幸せになる勇気』らしい名言を選んでみました。
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違う!そんなもの、わたしの知っている尊敬ではない。尊敬ってのはね、自分もそうありたいと請い願うような、あこがれにも似た感情のことを指すのですよ!