・今までなんとなく生きてきたけど、このままの人生でよいのか迷っている
・これから就職活動もあるが、なにがやりたいのかわからない
・社会を変えていけるような生き方がしたい
・貧困など社会の不平等に問題意識がある
このような思いを抱えている人へ、とっておきの一冊が『裸でも生きる』です。
筆者(@atsukuteyurui)自身、大学時代に「自分がこれから何をしていけばいいんだろう」とモヤモヤしていた頃にこの本に出会い、大きな衝撃を受けました。
むしろ、この本と出会わなければ全然違う人生を歩んでいたんじゃないのかと思うくらい、人生や価値観を変えられた一冊です。(そして、ことあるごとに読み返しています)
『裸でも生きる』著者の山口絵理子さん。
2006年に「途上国から世界に通用するブランドをつくる」を理念とした、株式会社マザーハウスの、代表取締役社長であり、デザイナー。
『裸でも生きる』は著者の山口さんが25歳のとき、起業した数年後に書かれた、山口さんの自伝ような本です。
文章は荒削りながら、とてもつもないエネルギーに溢れ、筆者のみならず数多くの人の人生に影響を与えてきたであろう一冊。
この記事は、どうやって生きていこうかモヤモヤしている人に向けて、名著『裸でも生きる』から「人生を切り拓く3つのヒント」を学んでいきます。
『裸でも生きる』から学ぶ人生を切り拓く3つのヒント
桁外れに努力する
マザーハウス創業者、山口絵理子さんから学ぶ、人生を切り拓くヒント。
一つ目は「桁外れの努力」です。
「努力」とひとことで言っても、山口さんは、ちょっと常人では考えられないレベルの「努力」をされています。
印象的なのは高校時代の柔道部のエピソード。
中学時代に柔道と出会った山口さんは、名門校の女子柔道部スカウトを蹴り、あえて環境の整っていない、大宮工業高校の“男子”柔道部に入部します。
そこでの朝から夜までの地獄の練習の日々。
加えて、朝練前に自宅の前にある公園で練習、朝と午後の部活終わりには学校の1階から5階までを逆立ちで上がるというトレーニングを五往復毎日実践。
部活の練習が終わってからも、さらに町の道場に直行して2時間練習、家に帰ってからも打ち込みや筋トレetc…
このゾッとするような日々を365日休みなく続けたと言います。
ひーっ!
並大抵の「努力」とはちょっと次元がちがうかも…
その後、逃げ出しそうになった日もあり、怪我もあり…。
けれども、最終的に最終的に全日本ジュニアオリンピックの7位にまで輝くのは漫画さながら、いやそれ以上のドラマがあると言えるでしょう。
部活の大会が終わった後は、猛勉強。
「絶対に可能性はない」「馬鹿、変態」と言われながらも、工業高校から慶應大学総合政策学部に入学されています。
山口さんは全国大会の切符がかかった大会で「私以上に努力してきた人間はいない」と思ったそうです。
このように、桁外れの「努力」というものが、山口さんが人生を切り拓く原動力となってきたことが伝わってきます。
志をもち、リスクを恐れず行動する
山口絵理子さんから学ぶ人生を切り拓くヒント、二つ目は「志をもち、リスクを恐れず行動すること」です。
山口さんは500倍以上の難関を勝ち取り、ラテンアメリカ向けの援助や融資をおこなう米州開発銀行の夏季雇用に参加します。
しかし、そこで支援先の発展途上国の現場との乖離を実感。
そこから、マザーハウス最初の拠点となるバングラディッシュへと、すぐに渡航を決めるのです。
さらには、バングラディッシュで途上国の悲惨な実態を見た山口さんは、現地の大学院へと進学するため、帰国するまでにすぐに受験しています。
慶應に進学し、そこでも成果を上げていた山口さんならそのまま無難な人生を歩むことは可能だったでしょう。
しかし「志」を大事に生きる彼女は、自身の直感を信じて、バングラディッシュで生活することをすぐに決めるのです。
さらに山口さんは、バングラディッシュでの生活の中で課題意識を深め、最終的に「起業」という選択を選びます。
少し長くはなりますが、そのときの思いを綴った次の文がステキすぎるので、ぜひ読んでいただきたい…。
フェアトレードはフェアじゃない
汚職のはびこるこの国で、援助や寄付が、求める人の手に届かない一方、民間セクターは安いものを大量生産している。
山口絵理子. 裸でも生きる ~25歳女性起業家の号泣戦記~
そして、いわゆるフェアトレードと呼ばれる商品を生産している社会の底辺にいる人たちは、悪い品質でも先進国のバイヤーを介して、かわいそうだからという気持ちで消費者に買われ、結果、満足にはほど遠い商品は、使われずにタンスにしまわれている。
私はそのいずれにも疑問を感じた。
そして、いま求められているもの、そして自分が挑戦すべきことは、単純に「かわいい!欲しい!」と心から思えるものを、この地から発信することではないかと思った。
[…]
「途上国発のブランドを創る」
まさに夢物語だと思った。
工場の品質のレベルを見て、「かわいいものなんてつくれるはずがない」と感じていた。
そして自分一人の力では変わらない現実があることも痛いほどわかっていた。でも私は、一歩踏み出そうと思った。それは今まで見てきたたくさんの理不尽な現実があったからだ。毎日のように利権のために罪のない人々を殺す政治家、そこに生まれてしまったという理由で夢を見ることもできない子どもたち、毎日のように出会ってきた物乞いの人たち、そして私が救えなかったクラスメイトの女性。
アジア最貧国、洪水、汚職、希望の光を見つけられないでいるこの国。
少し前まで、自分にはできることなんて何もない……と、あきらめて日本に帰ろうとしていた私だけれど、一歩踏み出してダメでも、踏み出すことが何よりも大事なんじゃないか、その先にたとえ失敗があったとしても、それは勇気を振り絞って歩いた証拠なんだ。たった一人の自分だけれど、たった一人しかいない自分ができることをしよう。それが、私が出した結論だった。
みなさんも進路を決めたときは「〜するぞ!」という「志」があったはず。
けれども、私たちはそうしたことを忙しい毎日を送る中で忘れてしまいがち…。
『裸でも生きる』は、読むたびに「あれ、自分はなんのためにこれをやっていたんだっけ?」ということを思い出させてくれるのです。
何度挫折しても絶対に諦めない
山口絵理子さんから学ぶ人生を切り拓くヒント、三つ目は「何度挫折しても絶対に諦めないこと」です。
バングラディッシュにて、ファッションブランド(当初はバッグからスタート)の起業を決めた山口さん。
しかし、その道は並大抵のものではなく、数多くの壁が立ち塞がります。
何かしようとするとその度に求められる賄賂、契約したはずの工場からのお金の持ち逃げ、工場の品質の低さ…。
さらには苦労して関係性を築いてきた工場でトラブルが発生。
やっとの思い出新たに見つけた工場でも、さらに大きな裏切りにあってしまいます。
生涯忘れない光景
それは一月の中旬だったと思う。
山口絵理子. 裸でも生きる ~25歳女性起業家の号泣戦記~
冬だけど、日本よりはずっと暑くて、私は赤い半そでの民族衣装を着ていた。
リキシャにのって、工場の前に到着する。
ゲストハウスで描きためたデザイン画と、工場の改善計画を書いたスケッチブックを片手に、階段を駆け足でのぼる。
久しぶりに、さびついた鉄の重い扉を開ける。
「…………」
そこに映った光景は、きっと生涯忘れないと思う。
ミシンも、素材も、デザイン画も、そして工場のみんなもいない。
小さな窓から光が差し込んでいて、いつもみんなが作業していた地べたを、部分的に照らしていた。
道具箱はあった。でも中身は、もう絶対に使えないようなボビンとか、それだけだった。
一瞬で、「またか」という言葉が自分の中で浮かんだ。
「また、裏切られたのか」
わからない。ただ何もないだけで、なにか理由があるのかもしれない。
私は次の瞬間、アペルさんに電話をかけた。目に涙がたまっていて、うまく携帯電話のボタンが打てなかった。
つながらないと思った電話は、意外にもつながった。
「あ、アペルさん……。おはよう。えーっと、今どこにいる?」
「あー、えりこ!おはよう!今日も工場で生産しているよ!」
「え……私、今工場にいるんだけど……」
「……(ガチャ)」
それで電話は切れてしまった。そのあと何度かけてもつながらない。発信ボタンを押すたびに、止めどなく涙があふれ、押すたびに「神様!」「神様!」って心の中で叫んだ。
こうした出来事があったら、普通なら心折れますよね…。
実際、このときばかりは山口さんも「マザーハウスをやめたい」と思ったそう。
けれども、そこで諦めなかった山口さんは、もちろん幾多の苦労もありながらも、事業を軌道に乗せていきます。
そして今では、バングラディッシュ、ネパール、インドネシア、スリランカ、インド、ミャンマーと、生産拠点を大きく広げるまでに至っているのです。
リミッターを外せるか?が勝負
これまで見てきた通り、マザーハウス創業者の山口絵理子さんは圧倒的にやり抜くことで人生を切り拓いていきます。
ただ、彼女は少しスペシャルな人ではあるとは感じていて、一般的な人が「自分もできる!」と思って真似するのはそう簡単は話ではないんじゃないかと思ったり。
山口さん自身が、『裸でも生きる』の後書きに「私たちは色んな制約条件を自分自身の中だけでつくりだす」と書いています。
その点、山口さんはリミッターが外れている感じ。
「志」や「努力」という言葉で表現されるものも、少々一般人とは違う次元にある気はしました。
山口さんの努力を見ていると、自分がしていることは「努力」となんて呼べないと思ってしまいます。
もちろん、そのレベルは違うかもしれないけれども、
志を持ち、リスクを恐れずチャレンジし、圧倒的に努力し、結果が出るまで諦めずにやり抜く
というのは、間違いなく成功へのエッセンス。
あとは、どれだけ自分の中のリミッターを外し、「できっこない」「これくらいでいい」という思いを捨て、やりきれるかどうか…。
ここが勝負どころだと感じます。
まとめ
次は、私自身がとっても大好きな『裸でも生きる』のあとがきの一節。
バングラデシュで見てきた現実の中で自分の人生に最も影響を与えたものは、明日に向かって必死に生きる人たちの姿だった。
山口絵理子. 裸でも生きる ~25歳女性起業家の号泣戦記~
食べ物が十分でない、きれいな服もない、家族もいない、約束された将来もない。そして生活はいつも政治により阻害され、きれいな水を飲むにも何キロも歩かなければならない。そんな人たちが毎日必死に生きていた。
ただただ生きるために、生きていた。
そんな姿を毎日見ていたら、バングラデシュの人が自分に問いかけているような気がした。「君はなんでそんなに幸せな環境にいるのに、やりたいことをやらないんだ?」って。
自分は一体何をしてきたんだ。他人と比べて一番になるなんてそんなちっぽけなことに全力を注ぎ、泣いたり笑ったり。こんな幸運な星の下に生まれておいて、周りを気にして自分ができることにも挑戦せず、したいことも我慢して、色んな制約条件を自分自身の中だけでつくりだし、自分の心の声から無意識に耳を背け、時間と共に流れていく。
バングラデシュのみんなに比べて山ほど選択肢が広がっている私の人生の中、自分が彼らにできることはなんだろう。
それは、まず自分自身が信じる道を生きることだった。
他人にどう言われようが、他人にどう見られ評価されようが、たとえ裸になってでも自分が信じた道を歩く。
それが、バングラデシュのみんなが教えてくれたことに対する私なりの答えだ。
人って、生まれ育った環境で人生に大きく制約を受ける部分って確かにあります。
これは日本であっても同じで、格差は大きいし、できない理由をつい環境のせいにしてしまいがち。
そして日本であっても、変えていかなければいけない現実があるのは事実です。
けれども、世界に視野を広げたとき、ただその国に生まれたというだけで、段違いに可能性が閉ざされる人たちが何億人といるのも事実で…。
少なくとも自分自身は、日本に生まれ、ちゃんと教育を受け、それなりの生活をしてきました。
こうした現実をみた時「もっと〇〇だったらいいのに…」と不平不満をいうのではなく、むしろ環境に感謝し、自分のやりたいこと、やるべきことをやらねばならないと感じるのです…。
あなたは、『裸でも生きる』を読んで何を感じるでしょうか?
この本があなたの人生にとって大いにプラスとなる一冊となることを願っています。