好きなストーリーパターンが教える人生観──『クララとお日さま』『国宝』から見えた「Calling」への道

アドラー心理学

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「映画、小説、ドラマなどで、あなたの好きなストーリーのパターンは?」

先日、アドラーカウンセラー養成講座の同期による「世界に一つだけの物語」のモニターに参加させていただいた際に投げかけられたこの質問から、思いがけない発見があった。

この問いを投げかけられたとき、「きっと自分の人生観と何かしら繋がるんだろうけど、そこまで深いものなのだろうか」とやや懐疑的だった。

でも実際に言葉にしてみると、それが想像以上に自分自身の生き方への憧れと関連していることに気づかされた。この発見を記録しておきたい。

『クララとお日さま』と『国宝』の共通点とは?

最初にパッと思い浮かんだのは、昔ハマった池井戸潤の小説だった。

『半沢直樹』や『下町ロケット』。志を持った主人公が理不尽な困難に立ち向かい、最後は必ず正義が勝つ。わかりやすい勧善懲悪の物語。

確かに今でもそれは嫌いじゃない。けれど、今はもっと複雑で、もっと深層に触れる物語に惹かれている自分がいる気がする。

思考を掘り下げていく中で、浮かんできたのが2つの作品だった。

1つがカズオ・イシグロの『クララとお日さま』、もう1つが吉田修一の『国宝』である。

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著:吉田 修一
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一見すると全く異なるストーリーだ。

『クララとお日さま』は人工親友(AF)のクララが病弱な少女ジョジーを見守る近未来の物語。

『国宝』は任侠の一門に生まれながらも、歌舞伎役者の家に引き取られ、芸の道に人生を捧げた主人公・喜久雄の50年を描いた壮大な一代記。ジャンルも設定も全く違う。

でも、この2つが浮かんできた理由を探っていくうちに、両者に共通する深いテーマがあることに気づいた。

現実に軸足を置きつつも、どこか人知を超えたものを感じさせる
献身する(devote)とき、道や可能性が開かれていく生き方

クララは太陽への原始的な信仰を通じて、ジョジーを救おうと自分の存在をかける。

『国宝』の主人公・喜久雄は、歌舞伎という芸能に人生を捧げ、その献身を通じて新たな境地を開いていく。

そういえば、去年夢中になって読んだ『生きる演技』も似たところがある。

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ここで重要なのは、これが単なる受け身の献身ではないということだ。

クララには、ジョジーを救いたいという強い意志がある。喜久雄にも、芸を極めたいという燃えるような情熱がある。

何かに身を委ねつつも、そこに突き動かされる主体性。それがその人らしく輝くということなのかもしれない。

この発見は、私にとって思いがけないものだった。自分がそういう生き方に憧れているのだということに、初めて明確に気づかされたのである。

Calling に応答する生き方

そう考えてみると、これまで自分が惹かれてきた思想にも共通の糸が見えてくる。

仏教の「縁」や「空」。

人生に何かを求めるのではなく、人生から何を問われているのかを考える、フランクルの「人生のコペルニクス的展開」。

そしてアドラーの「共同体感覚」。

特に晩年のアドラーは、宇宙の進化を土台とした壮大なストーリーのなかに自分の理論を位置づけ、「すべての生は、宇宙の要求を満たすために絶え間ない戦いの中にある」と述べている。

これは単なる調和ではなく、世界への積極的な貢献の思想だ。


これらの思想に共通するのは、人知を超えたものからの問い、内なる声に耳を傾け、それに全身全霊で応答していく姿勢。そこには深い主体性と意志が必要とされる。


ちょうど直前に読んでいた垂水隆幸の『Calling「人生をかけて追求する問い」を見つける究極の思考基盤』のことを思い出す。

この本が提示している視点も、まさに「人生からの問い」「内なる声」に気づき、それに応答する生き方の重要性を説いていた。

神や人知を超えたものを積極的に信じているわけではない。けれども、自分に向けられている何らかの呼びかけがあり、それに真摯に取り組んでいくことで道が開かれるのではないか、という感覚がある。

それは、表面的な成功や失敗を超えたところにある、もっと根源的な何かとの対話なのかもしれない。

池井戸潤的な物語にも人を突き動かす力があるのは確かだ。けれども、私が今惹かれているのは、何か大きなものから問われている問いに応答しようとする姿、その過程で開かれていく可能性を描く物語なのだと思う。

もちろん、現実はそう簡単じゃない。家族を支えなければならない責任もある。「本当にできるだろうか」という不安もある。それでも、「やりたい」と思えることは見えつつある。その内なる声を大事に、一歩ずつ邁進していきたい。

この気づきが、私の奥底にある願いの正体なのかもしれない。


好きなストーリーのパターンが、これほどまでに自分の人生への憧れを映し出しているとは思わなかった。

あなたが好きなストーリーのパターンは何だろうか?それは、あなたがどんな人生を歩みたいと思っているかを教えてくれるかもしれない。