【アドラー心理学】夢が教えてくれたライフタスクとの向き合い方|サイコドラマで見えた新しい可能性

アドラー心理学

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ヒューマンギルド主催のアドラー派による「夢のワーク」の記録、後編。

アドラー派の夢解釈では、夢は子ども時代の古い記憶である早期回想に近いものとして扱う。その物語の流れ、そこに漂う感情、そして主人公である「私」の動きのパターンが、現実の課題への向き合い方を映し出していく。

仕事の方針の違いをきっかけに始まったパワハラまがいの行為、謝罪もないまま続く冷え切った関係、そして好きな部署なのに上司についていけないという理由で来年度の異動を希望している今の状況。

こんな中で体験した夢のワークは、思いがけない気づきをもたらしてくれた…。

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サイコドラマで夢を演じる

夢のワークは、後半でさらに深い展開を見せていく。

自分の夢をピックアップしてもらい、サイコドラマで演じるという提案を受けた時は、初めて耳にする手法に思わず「え?何それ?」という反応を示してしまった。

サイコドラマの流れは次の通り。

1. 夢を共有する
- 参加者全体に夢を共有
- 適宜質問をして、理解を深めてもらう

2. 役割を決める
- 主役(夢見た人)は観察者として参加
- 補助自我(他の登場人物役)を割り当て

3. 準備をする
- 会場の空間設定
- 簡単な役作り

4. 演じてみる
- 見た通りの夢を再現
- 夢の描きかえその1
- 夢の描きかえその2

夢の三段階の変化

見た夢をそのまま再現して

私の見た夢:

ある日、乗り合いタクシーだと思って乗車した。すると、運動部の男子大学生のような人々が次々と乗り込んできた。不安を感じながら隅に座っていると、彼らは私の近くに荷物を置き始め、ついには自分の前のシートまで倒された。圧迫感を感じ、「乗るスペースがない」と声を上げたが無視された。「乗り合いタクシーだと思って乗ったんですが」と告げると、「これは私たちが借りたレンタカーです」という返事。謝って降りようとしたものの、街中から郊外の海沿いの道を走っていたため、「駅の近くで降ろしていただけませんか」と頼んだところで目が覚めた。

なお、この夢を見た背景には、上司との対立があるという大筋の見立てがあったが、まずはそのまま演じてみることに。

3列シートの自動車を想定して椅子を並べ、運転手、大学生、荷物役、景色役など配役を決めた。ファシリテーターのアドバイスで、夢の中の後部座席からではなく、車の正面から観察することにした。

演技後の感想は冷たかった:

  • 「だれか教えてあげればいいのに」
  • 「なんか一人演技している奴がいるな」
  • 「声をかけてあげようとは思わない」
  • 「もっとはっきり伝えればいいのに」

特に心に残ったのは、大学生役をやってくださった岩井先生からの「一人演技」というキーワード。上司とかたくなに口をきかない今の状況は、他者から見ると幼稚な「一人演技」に見えているのかもと思った。

思いがあるのなら、もっとはっきり伝えるべきなのだろうか、いやでも対話を試みて逃げたのは上司の方だもんな…と現実のライフタスクに重なる。

描きかえてみる – その1

1回目のサイコドラマを終えて、夢を自由に描き変えていくことに。夢の中の話だけれども、たとえ乗る車を間違えているにせよ、無言ではなく教えてくれればいいのに、という思いは拭えない。

最初の書きかえはこんな展開に:

大学生:「乗り間違えていますよー」
私:「わーそうでしたかー(汗)勘違いしてすみませんでしたー!」
大学生:「いえいえ、気にしないでください」

ここでファシリテーターから、「受け身で待つのではなく、まずは自分から声をかけてみては?」というアドバイスを受け、さらに展開を変更:

私:「おはようございます!今日はいい天気ですね」
大学生:「あ、おはようございます!」
私:「あれ?これって乗り合いタクシーじゃないんですか?」
大学生:「いえ、私たちのレンタカーなんです」
私:「そうだったんですね。失礼しました」

現実でも上司と挨拶すらしない関係に凍りついているが、どちらが悪いという話は置いておいても、まずは挨拶だけでもすれば何かが変わっていく。納得のいかない思いは抱えつつも自分から動いてみることの大切さを感じた。

さらなる描きかえ – その2

「描きかえその1」でも柔らかくなったが、結局は車を降りてしまう展開が理想的ではないと感じた。そこで、もっと大胆に:

私:「勘違いしちゃいましたー(汗)すみません。ところでどこに行くんですかー?」
大学生:「いまから部活の試合にみんなで行くんです」
私:「そうなんですね!ちょうど僕もスポーツ観戦したかったところなんです。よければご一緒してもいいですか?」
大学生:「いいですよー!」

この描きかえで、いくつもの重要な気づきが訪れた。

まず、誰かが失敗をしたとしても、みんなでワイワイ言いながら進んで行きたい世界観が自分の中にあることに気がついた。

荷物や圧迫を仕事の負荷のメタファーと捉えると、黙って押し付けられるのは確かに苦しい。でも、たとえ詰め詰めの状況であっても、みんなでワイワイ言いながら進んでいけるのであれば、楽しいと思えるのかもしれない。

さらに大きな発見があった。夢の中では乗り間違えた(失敗した)のは自分だったはずなのに、客観的に夢を眺めることで、まったく異なる解釈が浮かび上がってきたのだ。

実は失敗した(乗り間違えた)人が上司で、それに無言の圧をかけている人(大学生)は自分なのかもしれない─。

夢の世界では登場人物をそのまま解釈するのではなく、別の舞台装置に投影することは往々にしてあるという。

この視点の転換は、現実の世界への大きなヒントをもたらした。上司は確かに大きな失敗をしたのかもしれない。でも、失敗したのが後輩だったら自分はきっと許すだろう。

相手が上司だからといって、なぜ急に厳しく接する必要があるのか。「まぁまぁ」と許し、ワイワイ一緒に前を向いて進んでいく方が楽しくないだろうか?そんな風に少し思えるようになった。

おわりに

アドラー派「夢のワーク」を通じて、何気なく見た夢からこれほどの気づきが得られるとは思わなかった。2024年最大の出来事だった上司との1件を、年をまたがずに少しスッキリ解消できたことは大きい。

ただ、これは夢の世界の話。実際にすぐに許せるか、現実をどう変えていけるかはわからない。そんな中である参加者から言われた言葉が心に残っている。

「その上司も〇〇さんに対して悪かったと思っていると思う。ただ、アドラーがいう通り、動ける人がまず動く世界観で、まず自分が一歩を踏み出すことが大事なんじゃないですか」

夢は不思議な力を秘めている。思いがけない気づきをもたらし、現実以上の真実を映し出すことがある。

私の小さな夢に、多くの人が真摯に向き合ってくださったことに、勇気づけられ感謝の気持ちでいっぱいだ。

夢という鏡に映った世界は、現実へ踏み出す勇気と、仲間と共に進む希望を与えてくれた。